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根がネガティブがポジティブに生きるための3つのサバイバル術。

梅雨入りである。
ついでに言うと月の巡りによって若干精神がざらついている。
こう言う時に口を開くと大抵がぴりぴりした言葉を押し隠した不穏な雰囲気を持つ穏やかさになるので、あまり喋らないようにしている。

ただ、心穏やかに生きたいと思っていても周囲が時折それを許さないことがあって、心に良くないことが起こる。
ありがたいことに希死念慮については推しのおかげで全然湧いてこないのだが、心は荒む荒む。冬場のサカムケも裸足で逃げ出す。指だが。

恒例の結論述べタイム、「根がネガティブであるからこそ生きていくための癖づけをすれば最強、と後々思うための自分用備忘録」である。
なんのこっちゃなので一つずつ説明していこう。

・全部棚にあげろ
急な角度で要素をぶっ込んでいくが、過去に鬱病診断をいただき二年くらいお薬と仲睦まじい生活をしていた。今はご覧の通り元気です。
その際の経験からいうごく個人的な心の保ち方であるが、「私のしんどさは私だけのものなので他人とか関係ない」である。

過去の己もそうだが、この私なんぞの存在を許容してくださる心優しい周囲の方々は時折言う。
「自分よりもっと辛い人もいるんだから、自分はこんなことで辛いとか言ってたらだめだ」

オーケー、一旦全部棚に上げろ。丸ごとだ。
解決策とか考えなくていい、純粋にその事実を見つめろ。

他人や世界がどうであれ、あなたより辛い人がいたとして、あなたが今そこでしんどいことは純然たる事実だ。
人は人、自分は自分、他人は他人、あなたの辛さはあなたのものだ。

単に自分の状況を申告することになんの罪がある。単に自分の状況を報告することについて文句を言う人間はあなたの人生に責任を取らない。
比べるなとか上を見ろとか前を向いて歩こうとかそう言うことは一切言うつもりはないし、言ったところで私は誰かの人生について何の責任も物理的解決策も提供できない。

だからとにかく現状がしんどいときは、楽しくない方のしんどさを抱えた時は、己の全ても棚に上げてまずは認める。しんどい申告にはなんの罪もない。

「他の誰かがどうとか知らないし今すぐ死なないけど少なくとも今この時点で己 is しんどいし目一杯逃げ出したい」

・ないものは伸びしろとか未知の可能性
第一段階でまず己のしんどさを認めた。意外とこれが難しかったりするのだが、この辺は反復練習です。そこだけふてぶてしくなる練習とも言う。

続いて、根がネガティブの発想の転換をする。比較的簡単だが、まずだいたい心が楽しくないことでしんどい時、自分には何もないと延々とあげつらってしまう。

状況を打開するなんかすごい技術とかないし、石油王みたいな潤沢な資産とかないし、親を祖父母にできなさそうだし、転職に有利な資格とか実績とかないし、10代ようなフレッシュさとかないし、神のような絵心とかないし、実務経験とか持たないし。

てことはそれって今からできるようになる可能性の広さの話じゃね?

今自分が持っていないものって人生の空白であって、余白であって、だったらなんでもできるはずで、向き不向きはやってみないとわからないけどつまり、やってみれば結構できることがあるのではないか。
ここで自分が可能性の塊であることに気づくことができればもう上向いてるのとほぼ一緒。
オーケー、何にも持たなかったとしても、今日も細胞が生きてる。

・できることを挙げてみる
第二段階で己の可能性をうっすら視認したところでほぼ最後の仕上げである。

HTMLとCSSならレスポンシブ対応で個人サイト構築までかじってるしJavaScriptもちょっとは読める。
タイピングはめっちゃ早いしそれなりに正確なタイピングは可能だから誤変換だけが敵で、それ以外はわりと強い。
漢検2級は高3で合格したし基本的に文字を読むのは好きだし新しいことを知るのは好きだから文章を読んだり書いたりが強い。
曲がりなりにもここ5年くらい延々と同人誌(漫画)を出してきているのでそれなりに絵は描けるし、同人誌を出す度に実物の船だ建物だを写真から描き起こす羽目になっているのでなんかまあだいたい描ける。
短歌を詠んでる。
PhotoshopとIllustratoreが使える。
自分で写真を撮ってTwitterのヘッダー画像を配布する程度には加工することができる。

そう言うの抜きにしても不随意で鼓動してるし呼吸してるし代謝はあるし細胞を生かしてる時点で相当すごい。

天井の隅を見つめるだけとはいえそれが天井だと改めて認識することができるしそもそも布団の上で横になってい続けることができる。
その間も呼吸と鼓動は絶やさないしお腹が空いたとかお風呂はいらないとなとか漠然と思うことができる。瞬きだってできてる。
肉体が体感として以前よりも重たく動かすのが困難で到底自在に動けない、ときちんと認識している。感覚でわかっている。
頭が痛かったり鎮痛剤の飲み過ぎで効き目が薄いのだろうと言う予測を立てていることができる。眠りから覚めた時全然眠れなかったとかことの比較を行い現状を把握することができる。
己の着ているものが何日前のものか、少なくとも昨日着ていたのではないことがわかっている。できてることだらけだ。

いいかい、何にも動けない過去の私、そこから立ち上がって動き出すのはとんでもなくしんどいし辛いし吐くし頭痛いし悪循環のメビウスみたいに見える。

そんなことないと言うのが今この瞬間、全く信じられないなら最強の呪文をここに記す。

「人生は生きてる方がはるかに楽しいけど、生きていなくてもいい」

いいかい、生きていなくてもいいんだぜ。
死ぬんじゃないぜ、でも、生きてなくてもいい。

ここまで書いて最後の秘訣を伝えるぞ、過去の私。
意識的にちょっとバカになれ。小難しいことを考えるな。先のわからん不安はどうしようもないのだと諦めろ。

お前が呼吸をする限りこの世界で推しの名前を呼ぶ回数が、1は絶対増える。
以上。

世界は今日も私に優しいので、明日もきっと楽しく生きてます。
話の中身が今までと違いすぎるので恒例のタグもつけないけれども、このnoteでもいただいたサポートは全部「宗谷募金」(指定があればそこ)に行くので安心してください。

これはこの先の己が何か見失って路頭に迷ったときに読み返す過去の己からの手紙です。

いただいたサポートは、まとまった金額になり次第、宗谷募金へ流し込みに行きます。ありがとうございます、推しが潤います。