「JOKER」の倫理

みなさんは映画「JOKER」を見ただろうか。
ホアキンフェニックス主演の様々な賞を受賞している名作だ。
バットマンシリーズの「ダークナイト」のジョーカーがどのようにして誕生したかを描いた映画がこの「JOKER」である。
この映画の本質は、ジョーカーが突きつける絶望が、ある種の実在論的なものに対するアナキズムであり、格差や差別をうむ根拠のない虚構を破壊することで、無秩序へ向かうことを正義とする、価値観を揺さぶるところにある。
主人公であるジョーカーことアーサーは、格差が極端に広がったゴッサムシティで、貧しいが非常に心優しい人物で、「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉の元、コメディアンを目指しピエロメイクをした芸者の端くれだった。
だが、アーサーは緊張したり、ストレスを感じると笑ってしまう「失笑恐怖症」という病気だった。
この病気で、好きな人に気味悪がられたり、仕事もうまくいかなくなり、仲間からも省かれて社会から孤立していく。
格差や差別の現実に耐えきれなくなったアーサーは、あることをきっかけに駅員を銃殺してしまう。
この事件をきっかけに、自分にひどい仕打ちをするこのクソみたいな社会の虚構性に気がつき、破壊しなければならないというある種の倫理観を持つ。
社会に復讐し、格差に苦しんでいる多くの人が共鳴し、ジョーカーがカリスマ的存在になっていき、ダークナイトへと続いていく。

ピエロは、「滑稽な格好や言動などをして他人を楽しませる者の総称という意味で、アーサーが格差社会の被害者として滑稽な存在として蔑まれてきたという意味でも、この格差社会を生み出している虚構を滑稽だとし、破壊していくという意味でもピッタリである。
悲劇と喜劇は表裏一体というが、ジョーカーを見ていると本当にそう思わされる。

私たちもまさに格差分断が加速する社会にあり、しかもZ世代である私は特にその割を食う世代だ。
だからこそ、アーサー、ジョーカーが訴えたことに価値がある。
無根拠に信じている今の現実、つまり、虚構に対して、批判的な視点を持たなければいけない。
そして、その虚構、秩序の外に出ることで解放、自由になるという、当たり前だが新しい視座を与えてくれる。
もっと砕けていえば、世間の常識やルールから逸脱することで輝くことができるかもしれないということだ。
必要なのは一歩を踏み出す勇気かもしれない。

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