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書くことは、自浄作用だ

この一年間、意識して文章を書いてきたし、あえてそれを発信するということを実践してきた。


結論から言うと、想像以上のものを得ることができた。それは自己承認、他者承認という形で示された。


周りの人、特に会社で、「あなたが発信する言葉は明確なメッセージがあってとてもわかりやすい」「わからなかったことが理解できた」「言葉にできなかったモヤモヤが正確に言語化されて腹落ちした」そんな風に言ってもらえることが増えた。資料でのメッセージ性やプレゼン力も認められるようになった。


自分でも、苦手だった「伝えること」が、少しスムーズに進むようになったと実感している。

そもそも私は文章を書くことが好きだ。昔はブログでよく日記のようなものを書いていた。しばらくは辞めていたが、再び始めたのには「書くこと」と「発信すること」、この二つの視点で理由がある。


一つは、「書くこと」で客観的になれるから


私のスマホのメモ帳は書き殴ってきた文章で溢れかえっている。日常の些細なことから仕事に関すること、友人とのこと、恋愛のこと、結婚のこと、離婚のこと、家族のこと、ペットのことなど。思うことを書き出すことは、次元や階層を分けるように心情を分解し、心理構造を把握していくプロセスになる。


感情の粗熱が取れて残ったものは、余計なノイズがなくシンプルだ。だから、自分がどうすればいいかも明確になる。何より文章を書いてる間は、自分の気持ちを寝かすことができる、これは私に取って大きな進歩だった。感情的になることが減ったし、冷静に相手に伝えたり、時には伝えないという選択肢も選べるようになった。これは自分の理想のあり方に近かった。


これは割とどこにも発信しなくても、メモ帳や日記など、自分にしか見えない場所に書くだけでも十分可能だ。どこにも発信しなくとも成立する。ならばなぜ発信にもこだわったのか。


理由は、「発信すること」を目的にすることで、文章がより多面的に推敲できるから


この一年は特にこれを意識してきた。伝えたいことをシャープにし、枝葉を削ぐ。不特定多数の人様にお見せできるものに仕上げつつ、見解を述べる。余計な感情を落とすだけでなく、誰が、などの特定の主語を削ぎ、出来事や事象を概念化して書く。


読まれることを意識することで格段にトレーニングとしての質は上がった。働きつつ、プライベートで気持ちや見解をまとめ、書き上げ推敲する。これはなかなか想像以上に大変だったが一定の成果が見えたので、引き続き実践していこうと思う。


目的を持ち、意識して実践する。これは一年でも目に見える形で成果が出る。身をもって体感できた。そして自分自身の心理構造がシンプルで明確になった。どうやら私にとって、書くことは精神の自浄作用になるらしい。


今年は「発信する」というレベル感を引き上げたい。一年後の今頃、どんな変化を感じられるか楽しみでならない。


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