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自分の定規なんか筆箱に収まるサイズでしかない

小さい時観光地で売っている刀のキーホルダーが好きで、たまに観光地に赴いた時は両親の反対を押し切って買っていた。

その影響からか、小学生の時に初めて買ってもらった15センチ定規はなんだか自分の持っていたキーホルダーの刀より大きくて、学校へも何も言われずに持っていけるので意外と気に入っていた。

そんなある日、直線を引く算数の授業となり、ここぞとばかりに自分の愛刀である15センチ定規を出すと周りも各々の愛刀を筆箱から出したのだが、何人かが一回り、いや二回り大きい30センチの愛刀を出していた。

大きさが全てではないものの、自分の愛刀より幾らか大きくて長いものを見て少し驚愕したのも束の間で、黒板を見ると何ということだろう。

普段は物静かなあの先生が1メートルはある愛刀を握っているではないか。

自分が大きいと思い持っていた15センチの愛刀は自分の中では長かったが、学校に行けば当たり前の様にもっと大きい定規をもったやつが沢山いたのだ。

そんな15センチ定規で綺麗な四角を書こうとすると、一辺が15センチの四角迄しかかけず、30センチの定規であれば15センチも30センチも書けて、1メートル定規であれば15センチも30センチも書けて、1メートル迄は書ける。


繰り返し言うが大きさが全てだとは思っていない

だが、どうだろう。
小学生の私の様に15センチ定規しか持っていないとそれが1番長いものだと思ってしまい、15cmが自分の中での当たり前となり自分の常識や考えはその15cmの小さな枠でしか図れなくなる

30センチ定規を持つ人は15センチの大きさも分かるし、30センチの大きさも分かる為15センチを持つ人に『30センチの方が良いよ!』と、こう言うだろう。

しかし、大半の15センチの人は30センチの良さを分かろうとしない。

自分でも知らず知らずのうちに、自分の短い定規で図ろうとしてしまうからだ。

稀に15センチの人が自分の幅を超え、16センチ17センチと少し曲がりながらも幅を広げていくことがある。


俗にいう殻を破るというやつだ。


私達は自分の中の定規でしか物事を図ろうとせず、歳を重ねれば重ねる程自分の幅から出ることを恐れる様になるが、それではいつまで経っても15センチ定規のままである。

自分の定規なんか筆箱に入ってるだけのものでしかない。


筆箱から出して外の世界に出れば当たり前のように自分よりデカくて長い定規をもったやつなんかゴロゴロいる。

今迄自分の当たり前だった常識が通じなくなり、なんなら非常識だったんじゃないか?と思いたくなることもある。

それくらい自分の常識なんて小さいものなのだ。

必ずしも定規を大きくするべきだとは思わないが、定規の小さい人間にはなりたくない。

自分の常識や考えは自分の枠でしか図れなくなる

「自分の知っていることしか知らない人」

『自分の知っていることを知りつつも、知らない世界を教えてくれる人』

どちらになりたいだろうか。

私は常に後者でいたい。
何故ならつまらない人間にはなりたくないからだ。

誰かがその定規を大きくしてくれるチャンスをくれているのであれば、最初は上手く書けなくてもいずれ真っ直ぐ書ける日がやってくる。

今30センチの人も元々は15センチだったのだから。

私達は常に成長し続けることが出来る。

それでは^ ^

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