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僕が「フリーランス」を3年で“卒業”した理由

はじめまして。兵庫県を拠点に、Webメディアの記者(と公式SNS運用)・企業のSNS運用戦略アドバイザーやマーケティング支援、スポットでのコンサルタントとして活動している向山純平と申します🙇

複数の仕事を請け負っていることからもお分かりの通り、自分の立ち位置は「フリーランス」。しかし2023年3月をもって、とある企業のマーケティング部門に属することになりました。

つまるところ、フリーランスを“卒業”し「企業人」になったということですが、当人としてはちょっと違った認識だったりします。その理由をつらつらと綴ってみます✍️

「ニート」からはじまった「フリーランス」

2020年5月から2023年2月の約3年間、僕はフリーランスでいました。ちょうど「コロナ禍」と呼ばれた期間をピンポイントで過ごしたことになります。

といっても、これは狙ってやっていたわけではなく、結果的にそうなっただけやったりします。

そもそもフリーランスというのは、「特定の企業や団体に属さず、業務に応じて委託を受けて仕事をする個人」と定義づけされています。

あくまで働き方の「概念」であり、担っている「仕事」は人それぞれ。「マーケティングやライターなどで活動」も「一例」です。

僕がフリーランスになったのは、当時いた企業にある日突然「解雇」されてしまい、「ニート」になったことがきっかけでした。なお、この企業からは事前の「予告」は一切受けていません。

当時の世間はというと、「緊急事態宣言」でてんやわんや。そんな状況下ではありましたが、「俺の方が緊急じゃね?」と本気で思ったものです(しみじみ)。

そこへ編集長直々に“廃品回収”されたこともありはじめたのが、某メディアでのライター業。誰もが経験したことない「パンデミック」の影響で、採用市場も大幅縮小され、なかなか職が決まらないこともあり、ひとまずフリーランスとなったのです。

そして「パラレルワーカー」へ…📰⛑

なお、僕はライター経験があったわけではありません。というか皆無でした。「文を書く」という行為は、読書感想文の宿題が毎年苦痛に感じるほどで、それまでにもプレスリリースを数本作成した程度の“実務経験”しかありませんでした。

そんな中で、編集長からの「君ならできるから」という言葉を信じてはじめてみた記者生活。これが意外や意外にハマり、今では自分には欠かせない「経験」になってるんだから分からんもんです((´∀`))ケラケラ

フリーランス開始翌年の2021年には、とある企業から公式SNS運用のアドバイザーになってほしいとのオファーをいただきました🏍️🚲

元々僕は、とある企業在籍時に担った公式Twitter運用が評価され、Webメディアで特集されたり、イベントで登壇したりしたこともあるのですが、それを見て「向山純平」個人で仕事を請け負うことに。上記企業のほかにも、運用相談を受けることもちょいちょいあります🍖

こうしていくうちに、なし崩し的に始まったフリーランス業のはずが、気づけば「パラレルワーカー」とかいう、複数の企業を掛け持ちするビジネスパーソンになったのです。

「マーケティング」をやりたい

フリーランスとして軌道に乗りつつあった中で、2023年2月をもって活動に終止符を打つことにしました。

傍から見ると「なんで?」な印象を持たれるかもですが、自分としてはこれが現状の最適解かなと考えています。

そもそもの話、僕は望んでフリーランスになったわけではありません。不意打ちでニートに突き落とされ、割と最悪なタイミングで完全ゼロベースからスタートしました。

そんな状況下から、「SNS運用」という昔取った杵柄に、新たに得た「ライター」で生計を立てれたのはちょっとした自慢。一方で、自分の本業であったはずの「マーケティング」からは少しずつ離れていました。

「もうちょっとそこにも注力したいかな」と思うようになったのが2022年夏ごろ。フリーランスとして2年が経過し、ここまでで積み上げた実績を「評価」してもらおうという考えもありました📊

ただ、ニート直後の“就活”で「入社3か月で辞め(させられ)た人間」が殊更クローズアップされて暗礁に乗り上げた「前例」に、日夜可動しないとおまんまが食べれない就業形態もあって、あくまで無理のない範囲で行いました。当初は「現状把握」の面も強かったのもあります。

余談ですが、3か月で辞めざるを得なかった理由については、聞かれれば事細かく「真実」を伝えていました。その結果、人事担当者含めた企業側は、当該企業に対してのドン引きと、僕に対して同情という反応がありました。このことは地味に支えになっていましたね。知らんけど🛋️

「継続」か「卒業」か🎓

「2年」という時間でネックが“時効”となり、さらに「実績」が割と“見栄え”するものだったのか、僕の元には「面談希望」の連絡が届きました。それも様々な企業から途切れずにくるもんでちょっとした驚きでした😲

ちなみにこの時、大きく分けて2つの方向性で吟味していました。

  • ①:さらに業務委託を受ける。

  • ②:どこかの企業に入社する。

当時の僕は、複数の企業から業務委託されたパラレルワーカー。さらに、業務の全てを自宅ないしコワーキングスペースで行う「フルリモート」です🏘️

元々この働き方を志向していたわけではないものの、2年も続けていくとそれが「普通」となり、出来れば継続していきたいと考えるようになりました。

ただし、この「リモートワーク継続」というのは意外とネックになる要素。多くの企業が「出社」が前提のため、話が流れてしまったことも多くありました。

となると、①の「パラレルワーカー継続」が視野に入ってくるのですが、これはこれで難しくもありました。「業務委託先の追加」というのは、言い換えると「副業先を増やす」ということなのですが、これが結構な狭き門🚪

実は当初の僕はこちらを優先していたのですが、副業サイトを見ても案件はまばら。「マーケティング」という言葉の“広範さ”も障害になりました👨‍💻

それもあって、「転職サイト」にも目を向けるようになったのが2022年。その中で、秋ごろに連絡があり、検討した結果入社を決めたのが「現職」。SNSという“空間”ではありますが、マーケティングの仕事に専念できる環境を手に入れました。

LINE fukuoka株式会社にて。

加えて決め手となったのが、「副業」としてライター業を行え、自宅での「フルリモート」という働き方。「社員」のため、物理的にやめざるを得ないものも当然ありましたが、過去の転職に比べればかなり少なく済ませています。

「働き方改革」の「当事者」に🚄

今回僕が入社を決めた理由は実はもうひとつあります。それは、本社のある福岡県にも出社可能であるということ。実際3月頭にも出向いています。

入社研修で久しぶりに福岡へ

こちらは入社の手続きや研修といった必須なやつでしたが、今後も“上限”はあるものの事前に希望すれば出社できます。なので月1ペースで来福してまいります🚄

はるばる来たぜ福岡〜🎵

ちなみに、このことに魅力を感じたのは、僕が今までやってきた働き方を途絶えさせるのではなく、「ハイブリッドワーカー」と呼ばれる、「テレワーク」と「オフィスワーク」に組み合わせたものに発展できるということになるからです。

マスク着用も任意になり、いよいよ日本も【Withコロナ】の時代になろうとしています。その中で、コロナ禍のほぼ全てを「フルリモートかつフリーランス」で過ごして、平時に合わせてハイブリッドになった経験と過程は意外と貴重な気がするのです。

そして僕は「ライター」でもあります。先述したメディアにおいては、「ビジネス」に関する記事も都度執筆していたのですが、その中には「働き方」がテーマのものも存在します。直近では2月に最新版を書き起こしたのですが、これが意外にも読まれていました。

これは「トレンド」であることを意味し、「自分事」で注目されるのは実にライター冥利につきることです。それは同時に、可能な限り取り上げていきたいという「欲」も生まれるもんで、今回の働き方を選択したのはある意味自然の流れだったのかもしれないですね。

もっとも、そのためには組織の一員として「実績」を残すことも不可欠です。機会を与えてくれたんやししっかり貢献しなきゃ(使命感)

すっかり忘れがちですが、以前より「働き方改革」が叫ばれるようになっています。当初は「聞こえのいい」言葉感つよつよでしたが、コロナ禍による半強制的な「変化」で多くの人に実感を与えました。

それは平時になり、「じゃあ元に戻そうか」ではなく、「どうやって組み込もうか」な発想が不可欠ですが、そのためには「発信」もしていかなければなりません📡

というわけで、時間的余裕が生まれたのと、せっかくのライティングスキルを錆びつかせないように、すっかりおざなりになっていたnoteにてぼちぼち投稿するお!という宣言でした~('ω')ノシ

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