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人に嫌われたくない私は「良い人」になるために「嫌な人」になることにした

全員に「良い人」だと思われるのは、無理。

漠然と「良い人になりたい、みんなに嫌われたくない」と考えている人は多い。世間の意見なんて関係ないと思って生きている私でも、そう思う。人に嫌われたくはない。でも、出会う人全員に「良い人だ」と思われて好かれるのは多分無理。

快適に過ごしたいと思って周りの人みんなと仲良くしようとしたら、八方美人だって言われるし…そう言わない人とだけ付き合うようにしても、結局誰かに嘘をついたり裏切ったりしないといけない。

例えば「あっちと先約あったけど、こっちの人との付き合いも逃せないし、でもどっちか断らなきゃいけないし」とか「あっちの人はLGBT反対派で一緒にいる時は話を合わせてるけど、こっちの人はゲイで」とか……

自分が快適に過ごすために「良い人」でいようとしてるのに、結局気を遣ったり罪悪感を感じたりして自分の気持ちに負担をかけることになっている人が多い気がする。

誰にとって「良い人」になりたいのか考える

人付き合いにかかる、気持ちと時間のコストを考えた時に「世の中全員に良い人だと思われようとする人生って、別に幸せじゃないのかな」と。

どんなに頑張っても誰かにとって嫌な人になるなら「全員に好かれる」なんて不可能で負担の大きいことを目指すよりも「自分が誰に大切に思われたいのか、その人が求めてることが何なのか」を考えることがすごく大切なのかも。

大体の人は、既に「良い人」

というか「良い人になりたい」って思ってる人って多いけど、大体の人は既に良い人だと思っていて。

私は「良い人」になりたいと思った時にまず「悪い人」の定義を考えたんだけど、殺人犯とか、私に嫌なこと言う人とか、人の尊厳を傷付ける人とか……しか思いつかなくて。まぁ、たぶん殺人が一番凶悪な犯罪だし、被害者と国から見たらすっごい悪い人よね。

でも、その人のお母さんにとっては「生きていてくれるだけで尊い可愛くて良い息子」かもしれない。

その人が恋人を守るために殺人を犯したんだとしたら、恋人にとっては「一生かけて感謝するべき良い人」かもしれない。その人が拾って死ぬまで面倒を見た野良猫からしたら「大好きなご主人さま」かもしれない。

どんなに「自分には価値がない」と思いこんでる人でも絶対に誰かしらから好かれてるんじゃないかな。

「親がいない・友達もいない・彼氏もいない。人望がない。私には仕事だけ」っていう人もいると思うけど、職場だって能力も人間力もない人に給料あげて時間使って教育するほど暇じゃないし。首にならない限りは、職場にとって「なくてはならない大切な人」だと思う。

基本的にみんな良い人で誰かにとって大切な人なんだから、わざわざ「良い人になろう、好かれよう」って意識して生きる必要もないのかな、と思ったり。

本当に大切な人を大切にするためなら、その他の人類全員敵に回しても良い

どんなに人気者でも、お互い価値観の深い所に触れ合うくらい距離が近い「人生かけても大切にしたい」人なんて、5人もいないんじゃないかな。

SNSの発達なんかで触れ合う人の絶対量が多くなった今、出会った人全員に「良い人」だと思われようとするのは無理。息切れがする。

でも「自分が本当に大切にしたい人」の人生を全力でサポートするくらいなら、私が生きてる間に実現できそう。私は、万人に好かれなくて良いから、本当に好きな人を大切にできるように生きたい。

本当に大切な人を大切にするためなら、その他の人類全員敵に回しても良い。ちょっと過激かもしれないけど「その他の人類全員敵に回しても良い」と思えるくらい大切な人が1~2人いれば私は十分幸せに生きられると思う。でも、これには2個課題があるかも。

人生の軸をどこに置くか決めること。

「自分がどこの世界の人間なのか、自分は何を判断軸に動くのか」がはっきり分からないと、自分が何を一番大切に考えてるのかすら分からないと思う。

「判断くらいできるわ」と思う人もいるかもしれないけど、自分が何者なのか、パッと答えられる人って少ないんじゃないかな。私たち日本人って流行とか職場の空気とかに流されて自分の意見を押し殺しがちだし、それに慣れてしまって、みんな「いわゆる、ふつう」の思考しか持っていない人が多い気がする。

自分の軸になる考え方を見つけるために、自分の本心としっかり向き合って、自分が持っているオリジナルの考え方や価値観に出会ってほしい。自分の軸が分かっていれば、仕事や人間関係で絶望しても、次にとるべき最善の行動が分かるハズだから。

社会人なら「大切なもの・生活の軸」と言われたら真っ先に「仕事・お金」という人が多いのでは? もちろん資本主義社会なのでお金がないと生活できなくて困るけど、自分の価値が「お金に困らないこと」しかないのは、ずいぶん寂しいな、と思う。

そもそも「お金があるかないか」「仕事が安定しているかどうか」が人間の価値を決めるようになったのなんて、明治時代以降で、けっこう最近。

政府や資本主義を採用した偉い人達が、人を競わせて消費を促すためにそういう価値観を植えつけてるんだと思ってるから、わたしは、そんな価値観のために一生を日本円集めに費やすのは絶対に嫌だな、もったいないな、と思う。

お金とか世の中の常識とかそんなもんどっかに取っ払って、自分が本当に大切にしたいこと、自分の人生の軸を見つけたいし、できるなら、私の周りの人達にも、そうあってほしい。


夢を諦めて社会人になったけど、週末になる度に触っているギター・そばにいて支えてあげたい母親・Twitterで見るたびに胸がチリチリする「自分の夢を叶えた人」……安定した会社員としての収入を捨ててもやりたいことは、ありませんか? 「定年退職をしたらやりたい」と強く考えていること、ありませんか? 

自分の価値感を広げること。

自分の人生の軸が見えて、進むべき道や大切にするべき人・モノや目標が定まったら、それを大事に包みこんで生きていきたい。

でも、自分が好きな人であればあるほど自分と違った価値観を持っていることが分かった時に反発したり攻撃したりしてしまうものだと思う。

例えば今は「男女で恋愛して結婚することが当たり前で、同性愛はマイノリティ」だけど、つい150年前、江戸時代までは男色なんて当たり前だった。同性愛が禁忌だって言われ始めたのは、キリスト教が同性愛を禁止したから。

「女性は生まれつき控えめで面倒見が良い。ピンク色や人形遊びが好き」「男は生まれつき決断力があり、大雑把。青色や乗り物のおもちゃが好き」など「男らしさ・女らしさ」が生まれつき決まるものだと思っている人は多いと思う。でも、生まれたばかりの人間が持っている性格や好みには性差がほぼなく、むしろ個人差の方が大きいことが分かっている。

世の中の価値観は、人の勝手な都合や誤った認識から作られていることも多い。

こういったことを知らずに生きていると「お前は普通だと思っていたのに、ホモだったなんて」「女のクセに、やけに前に出るところがあるよな」など不用意な発言をし、大切な人まで傷つけてしまう可能性がある。

あなたが「世間の常識」とか「自分の価値観」だと思っているものは、あなたの偏見の塊でしかない。自分の偏見を「社会全体の通念だ」と言って押し付け、本当に大切な人を失うのはもったいない。

これからは特に多様な価値観が出てくるし、それをお互いに認めていこうという風潮がどんどん育つはず。今まで持っていた常識だけで生きようとするのは結構危険なんじゃないかと思っている。

多様な常識や世界観を知っていれば思考が自由になる。柔軟な考えができるので周りの人を不用意に傷付けないで済む上、人生が豊かになるのでは。

また、多様な価値観があることを知ることで「こんなこと非常識で実現不可能だと思っていたけど、やっても良いんだ」なんて、自分の可能性に気付ける可能性もある。

自分の軸を持っていて、良かったこと

例えば私は小学校の頃から自分のことを「絵を描く人」だって思っていて、自分の価値をそこにおいていた。「絵を描く人」でいるためには命と個性、自尊心が必要だった。

私は、風俗嬢・ホームレス・フリーター・フリーランス・会社員……と、けっこう紆余曲折している。何をしてもそれなりに大変で「今日死のう、今死のう」と自殺しかけたことも何回かあった。

でも、絵というアイデンティティを持っているおかげで「私は絵を描く人だから、仕事で思いつめて死ぬ必要はない」「世界のアーティストになるのに、こんなところで負けられない、死ねない。死ねるハズがない」と生き続ける意味を自分に見いだせた。

体を売って生活していた時期もあったけど「間違えた。私の道はアーティストだった。自分の価値を売る仕事なのに自尊心を落とす仕事をするのはダメだ」と思って昼の世界に戻って来れた。

髪が派手なピンクで通りすがりの人に3度見されることもあるけど「でも、これがアーティストの工藤美寿樹だから。自分がこの髪色で生きたいから、これで良い」って思える。

他人の評価を気にして比較し合って生きる世界ってすごく息苦しい。自分を高めるのは良いことだけど、比較して順位付けする世界って相対で勝ち負けが決まるから、自分が上に上がったら誰かが下に追いやられる。終わりがなくて、不毛で、悲しい世界だと思う。そんな世界で一生競い合って死んでいくのは、嫌だなぁ、と思う。

人が比較し合って生きてる時に得するのは、ブランドの経営者とか、上の方でお金を回してる人なんじゃないかな。一部の人が作った社会一般の価値観……「痩せている方が可愛い」とか「流行遅れの服はダサい」とか、そんなもの、べつに気にしなくて良いと思う。

社会の価値観は、あくまで他人の価値観。「本当に好きなものは?本当に大切にしたいことは?」 社会一般の価値観と関係ない、自分の中にある本来の価値観を見つけて、それを大事に生きていきたい。

「本当に良い人」になるために「嫌な人」になる

世間の人全員にとって良い人になるのは無理だし疲れるだけなので、本当に自分が「良い人」だと思われたい人は誰なのか……取捨選択が必要なんじゃないかな、というお話。

メディアなどで多様性に関して触れる機会が多くなってきたけど、まだ日本人の多くは、まだマイノリティの人達の存在を身近に感じられていないんじゃないかな。例えば「明日自分が性的マイノリティだと気付くかもしれない」というくらいの当事者意識を持っている人はどれだけいるんだろう。

「知っている」だけでなく「心から共感し、どんな個性を持った人とも同じ目線で話せる」という状態になれば、個人レベルの生活の充実だけではなく、企業単位での成績アップや国全体の意識改革もできるのにな、って、いつも思います。

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「普通の人なんていない」と思っています。人間みんな変人なんだから、無理して普通の枠に収まろうとしたら生きづらいのは当たり前。みんなが生きやすい世の中を、人生かけて追求します。 アイデアは無限に出るんですが、お金が足りなくて(笑) 良かったらサポートいただけると嬉しいです🤗