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誕生日を祝ってもらいにフェリーに乗ったら、島暮らしが大事に思えた話。

誕生日だからといって、何か特別なことが起こるわけでも素晴らしくいい1日になるわけでもないと25年も生きると気づく。誕生日だからと特別なことをしたり、素晴らしい1日にしようと、自分か大切な人が行動を起こすから誕生日は誕生日らしくなる。大人になると誕生日への特別感は薄れ、祝うことや大それたパーティも蔑ろになりがちだけれど、それでもやっぱり誕生日という1年に1度、自分がかなり主役になれる日(いつだって人生こ主人公は自分だというマインドでいたい!)は大切にしていたいと思う。

今年の誕生日は鰻が食べたいと、先週彼にリクエストしたところ、あっさりOKが出た。先月ショッピングモールに行ったときに、念願だったドクターマーチンの靴を誕生日プレゼントに先取りしていたから、鰻を食べたらカラオケをして、商店街をふらふらして、帰りにデパ地下でケーキを買って帰ろうという緩いプランに決まった。去年は泊まりで動物園にスワンボートにイタリアンレストランという王道カップルプランを決行したから、今年はあっさりとでいいなぁという心持ちだった。

フェリーと電車に揺られて、背伸びと贅沢をした鰻御膳は完璧に美味しくて、最高の気分でカラオケに行って、商店街で買いたいものを買い込んで、デパートに辿り着いたところでどっと疲れが押し寄せてきた。疲れる要素はどこにもなくても、島から市街へ出るとこの現象は遅かれ早かれ起こる。帰りのフェリーまでは時間が沢山あったので彼と別行動することにして、デパ地下の喫茶店でカフェオレを飲みながらドラマ療法をして時間をやり過ごした。最後に落ち合ってデパ地下でケーキと送別会で渡すギフトを買って、電車とフェリーを乗り継いで帰る頃には夜になって肌寒かった。

デパ地下の空気が薄い感じが昔から苦手だ。密で、色んな食べ物の臭いと人の熱気が混じり合っている空気は外のそれより澱んで重い。地上で生きているから、地下はそぐわない感じもしてしまう。

島に慣れ過ぎて、少しの人混みやコンクリートジャングル感にも疲れるようになってしまったのだとしたら、自分が生きにくい人間になってしまったようで嫌だけれど、体が素直になっている証でもある。田舎の長閑で平和で退屈過ぎるくらいの中での生活を拠点に、月に1度買い出しに出るのが丁度いいサイクルになっている。もともと物欲もないほうだし、Amazonプライムがあれば結構無敵だ。

25歳はなんとも中途半端な年齢で、まだ25歳とも捉えられる年齢で、でも大人としてしっかりしなくちゃいけなくもある年齢で、生き急いできた割に心が追いついていない私にぴったりな年齢なのかもしれない。まぁ、年齢はただの数字だと割り切って生きたほうが楽だと分かってはいるけれど、何かと理由づけたい私は25歳の重りを携えながら生きていくのだろう。
誕生日を祝ってくれた彼氏や両親、社長やお肉屋さんや島っこYちゃんに感謝して、今回のnote(雑記)は終わりにします。

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