2022-02-19


きのうウエストサイドストーリーを観てきた。
かなりの長尺なので、ふだん3リットル水を飲む私には心配しかなかったが、途中席を立つことはなかった。途中でイーマのど飴でお茶を濁したからだ。世の中でいちばんおいしい液体は水だとおもう。

序盤はニューヨークの埃の舞うきな臭いダウンタウンの日本にはない雰囲気と、登場人物たちの個性的なキャラクターと歌とダンスのレベルの高さが心地よく、軽快な気分でいた。それに加えてみんなジーンズが似合いすぎる。ジーンズがほしくなった。リーバイスは古着でしか購入したことがない。501でやっと自分のジャストサイズが判明した嬉しさから、謎にインスタグラムの自己紹介欄的なところにそう入力しているほどだ。お気楽にいたのもつかの間で、だんだん物騒で悲しい展開が観ていて悲しかった。

ジェット団とシャーク団の抗争、もとい移民と現地の人種的争いにギラギラする青年たちを中心にストーリーは展開するが、私はそこはあまり共感も思い入れもなかった。彼らの周りの女性たちは、納得できないことにも折り合いをつけ、なんとか青年たちを彼女たちのやり方でなだめ、平和にたくましく生きようとしていた。アメリカ人だからプエルトリコ人だからという問題はさておき、目の前の生活とこれからのためにだ。それは無知だからでも諦めているわけでもないと思う。何もせず言わないから意思がないということは決してないのだ。言ってしまえば青年たちが始終ドタバタ騒いで招いた悲劇だ。もちろんそこには根強い差別意識や貧困など、一言では片付けてはならない背景があるのは理解している。

というようなことを先に観ていた母に伝えると、「そこを含めスピルバーグは言いたかったのではないか」ということだった。
なるほど、やはりウエストサイドストーリーは世紀を超えた名作であり、スピルバーグ監督は名監督なのだ。

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