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始まりの日について③ -子どもの血球貪食症候群-

前回(始まりの日について② -子どもの血球貪食症候群-)は、電話対応してくださった先生の見聞色が強すぎた話。その続き。


当日:20時00分過ぎ〜21時00分ごろ

年の瀬のやや車通りが減ってきた道を順調に進み、30分ちょっとで小児科総合病院に到着。後で知ったことなのだが、長女・次女の級友など何人かもこの病院に駆け込んだことがあったようで、「何かあったらこの病院」という情報は、今回の次女の話を機により周知をされていくことになった。 

止血剤でもコントロールしきれない

小児科総合病院には、原則、救急外来は子どもひとりに対して親ひとりという方針があったため、先に妻と次女だけで行くことにした。
 
出血量や相変わらず止血の気配がない状態から考えて、ただ止血して帰される、といった類のものでないことは明らかで、確実に血液検査を行うことになるだろうし、大勢が判明するのは深夜になるだろうし、そしておそらくそのまま入院であろうことも想像できた。 

そうでなくても、病院である以上は下手に長女を伴うのは避けたい。私と長女は車で待機し、長女はを車内で休ませることにした。 

夜間救急用の待合室には他にも10組程度の子どもたちが待機していた。どうも初期症状を看護師が診て、簡易的なトリアージを行っているらしい。そこにティッシュを真っ赤にした次女が登場である。
 
看護師が話を聞いた後、すぐに診察室へと案内され、止血剤による処置を行いながら血液採取も始まった。
 
しかし、それでも完全には止まらない。
そしてくしゃみをすると、その勢いでまた出血が加速する。
その間に輸血のパックが病院に届いたため、すぐに輸血が開始された。
 
結局、止血の完了はそこから2日を要した。

当日:23時30分ごろ〜

血液検査の結果が判明したため、私と長女も病院に行くことになった。 

血小板の減少を確認

血液検査の数字は、当時の自分たちからしたら驚きだったが、いまその数値を改めて見返してみると、まだ初期段階だったことがよく分かる。
 
※数値の説明については、以前の記事(血液検査の数値について -子どもの血球貪食症候群-)に記載してあるので、ここでは割愛する。
 
一番顕著に悪い数字だったのはPLT(血小板)で、通常18.0*4/μl程度は必要なものが、次女の数値は0.2*4/μl。10%程度しか存在しない。
 
「血が止まらないわけだ」と納得すると同時に「なぜこんなことに」という言葉と「こんな数値でも人って生きられるんだ」という言葉が同時に思い浮かんだ。
 
その他、赤血球は約20%、白血球は約70%程度だった一方、肝機能や腎機能に目立った数値の悪化はなく、細胞破壊の数値も出ていなかった。
 
そのため、この段階では再生不良性貧血の可能性を疑いつつ、このまま入院。血液検査の数値は常に注視しながら年明けに骨髄検査を行って精密検査を実施することで話がまとまった。
 
結局、入院の手続きなどをした結果、次女以外の家族が病院を出たのは、深夜2時ごろ。こちらも大変だが、病院関係者の方々の大変さは言うまでもない。


このような経緯を経て、現在に至っている。

この後は、以前の記事(子どもが血球貪食症候群(HPSもしくはHLH)に罹っている話)でも軽く記載した通りで、年明けに2回骨髄検査を行い、2回目で血球貪食を確認。一方で、症状としては発症年齢といい原因といい珍しいケースだったため、各研究機関にも検体が届けられている。

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