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20190509_028_「インナーチャイルド」、舐めてました その1

はじめて、「インナーチャイルド」という言葉をきいたとき、かつて「ストレス」という単語を許せなかったように、拒絶反応をもった。
「また、誰かや何かのせいにして…!」

「責任感」の鎧とともに、自分の本音や本心に嘘をつくことを覚えたのは、その方が一般社会に適応するのには楽だったからだと思う。目の前の敷かれたレールに疑問をもつことなく淡々とこなす、ある意味での「作業」というのは思考も心も停止して行えばいいので、泣くことも喚くことも、本当に傷ついた自分と向き合うことだって、もちろん必要ない。

フリーになったけれど、なんだかうまくいかない…

ところが、会社員をやめて、いよいよ「自分らしく生きよう!」と決意したはいいものの、あれ、なんだか、うまくいかない。
焦らないために、
誰かや何かと比較するのをやめるために、
会社員をやめたはずなのに、
なんだかうまくいかない。

そこで、北海道へ移住した恩師が、気づいたら自動書記で編み上げていたという(テキストをつくったときの記憶が、ないらしい、、、)講座を受講させてもらうことになり、そこでまさかの初めて、件の「インナーチャイルド」と向き合わざるを得なくなった。チーーーン。

自分を癒せるのも、変えられるのも、この世で「自分」しかいない

インナーチャイルドワーク、といっても、誰かがどうこうしてくれるわけではなく、あくまで取り組むのは自分自身。傷ついた自分を癒せるのは自分しかいない。自分で自分をみつめ、対峙を続ける中で、幼少期に傷ついたこととか、今の自分のうまくいかない現実や思いグセ、自分が自分らしく生き、楽しむことを阻み、苦しめているものたちのトリガーにアプローチするのだ。よーし原因をみつけるぞ!と意気込む必要もなくて、「ただ向き合う、振り返る」そうし続ける中で、自然と本来私らしく生きるのに不要な感情や思いのゴミ、トラウマのようなものはなくなっていっている、そんな感じ。

ワークを続ける中で気づき手放していったものたち


・幼い頃からあった容姿に対するコンプレックス
・物質への異様な執着
・怒り
・自分への自信のなさ(すぐ2番手になりたがる)
・他人と自分とを比較するクセ


まさかまさかの、、、こんなものを手放していった。容姿に対する劣等感の原因はどこにあるのだろう、、、と思っていたら、その原因を思い出した時に、涙が出たと同時に、とても解放された気持ちになった。


人生の偶然は、すべて必然なんだ、って思う。この人生のシナリオを選んで生まれてきたのも私、ここまでに至る人生のつどつどの選択をし続けてきたのも私。それなら、自分のあり方を変えられるのは、自分しかいないんだって。
次回は昨年から参加させてもらった、ルドルフ・シュタイナーのバイオグラフィーワークについて気づいたことを書いてみようと思う。


人生最初で最後の覚悟でblog連続更新、まずは、向こう1年を目標にスタートしました。今日で28日目、28/365となりました。
読んでいただきありがとうございます。


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