見出し画像

脳内ゲームオブザイヤー アーカイブ 1999年

1999年! 世界は核の炎に包まれた!
…いや、包まれなかったね。ノストラダムスの予言も外れた。
21世紀を目前にひかえて、第16回の脳内ゲームオブザイヤーは開催された。

ドリームキャストが98年末に発売。次世代機と呼ばれたプレステとサターンの次の世代のハードが出始めた。
ポケモン金銀や、FF8、ゲーセンでダンスダンスレボリューションなどが流行った年だ。

ゲーム以外だと、インターネットで「2ちゃんねる」が開設されたり、音楽だと小室系は人気が落ちてきて椎名林檎とかaikoとか。それと携帯電話の「iモード」が始まったり、コギャルが進化してヤマンバファッションが流行したり、バイアグラが国内で買えるようになったりした。世間の闇の部分としては、アジアの通貨危機が原因でガソリンが1リットル90円くらいになったり、フリーター・非正規雇用が激増したり、就職氷河期がピークで有効求人倍率が0.48まで落ち込んだりした。筆者が就活してたのはこの時だった。よく就職できたなぁ…運が良かったとしか言いようがない…。

1999年 ノミネート作品

  • どこでもいっしょ(プレイステーション)
    「ポケットステーション」という液晶とボタンが付いた特殊なメモリーカードで遊ぶソフト。可愛い動物のキャラに言葉を教える。という単純な内容なのだが、他のプレイヤーと通信すると面白さが倍増する。

  • ファイナルファンタジー8(プレイステーション)
    超有名なRPGのシリーズ8作目。
    筆者は当時スクウェアでバイトしており、FF8のテストに参加していたことがある。全編通しで普通に遊べたのは最終日だけで、それまでは同じところばっかり繰り返しプレイしていた。そのため(退屈だったので)カードバトルや集めてチョコボもかなり遊んだ。

  • スペースチャンネル5(ドリームキャスト)
    セガが放ったちょっと頭おかしい(誉め言葉)リズムゲーム。
    宇宙テレビレポーター「うらら」が、謎の宇宙人を相手にダンスとビームで戦う。
    テーマ曲である1966年のジャズナンバー「メキシカン・フライヤー」をバックにレトロフューチャーな世界観が展開。
    チャーリーズ・エンジェルやオースティン・パワーズを思い出す。あれらの映画もこの時代だったっけ?
    あとマイケル・ジャクソンが出演してた。

  • ウィザードリィ ストーリーオブリルガミン(スーパーファミコン)
    ファミコンで出ていたウィザードリィの1と2と3をセットにしてスーパーファミコンでリメイクしたもの。基本的な遊び心地は(高評価だった)ファミコン版を踏襲しつつ、画像やサウンドはスーファミということで綺麗に直されていた。
    店頭でカセット販売しておらず、ローソンのLoppiを使って書き換え可能なカセットに書き込んでもらって購入するスタイルだった。
    当時会社の隣にローソンあって、出社前に書き込んでもらったっけ。

  • グンペイ(ワンダースワン)
    1997年に事故で亡くなった、横井軍平氏(任天堂で十字キーやゲームボーイなどいくつものハードウェアを開発した方)が監修した落ちモノ(?)パズルゲーム。本作が氏の遺作となった。
    枝分かれしている「線」を上下に動かして、左右にラインをつないでいくだけのシンプルなゲームなんだけど、何度も遊んでしまう中毒性と気持ちよさがある。テトリスをついやってしまう感覚に近い。

受賞作品

第16回脳内ゲームオブザイヤーは…

どこでもいっしょ(プレイステーション)」です!

私の人生を変えた、運命を決めたゲームソフトが2本ある。
ひとつは「RPGツクール Dante98」
もうひとつがこの「どこでもいっしょ」だ。

決してマイナーソフトではなく、99年のCESA日本ゲーム大賞でグランプリを受賞している。「FF8」や「シーマン」を差し置いてだ。
しかも大賞だけでなく、優秀賞、ゲームデザイン賞、キャラクター賞、ニューウェーブ賞を同時に獲得。この年のアワードを総ナメに近い勢いでかっさらったタイトルだ。

ゲーム内容の詳細については前に記事にしたので、そちらを見てほしい。

ポケットステーションを使ったゲームが初めてだった…というだけでなく、インターネットを用いたコミュニティで他のユーザーとの交流する、実際に会って話す、なども人生で初めて経験した。
そして筆者は、これで知り合った女子と結婚した

「どこいつ」を女子供のやるものだとスルーしていたら。
ウサギのジュンに愛着を持っていなかったら。
オフ会未経験だった私だが、あの時もし名刺交換会に行かなかったら。
あの時、彼女が出来なかったら。ICQで告白をしなかったら。
どんな人生を歩んでいただろうか?

このゲーム自体は、誰かの人生をどうこうする…なんて目的で作られたものでなく、ごく普通の娯楽用のゲームソフトだと言っていい。
普通に楽しく遊んだだけの人もいれば、スルーした人もいるだろう。
幸か不幸か、私にとっては特別な存在となった。人生とはわからないものだ。

その後の人生は順風満帆とはいえないかもしれないが、いい友との出会いもあったし、豊かな人生を歩めたと信じている。

あの頃のみんな、元気にやってるのかな。

この記事が参加している募集

全力で推したいゲーム

心に残ったゲーム

[B] で ぬけます.