小林吉弥生著『田中角栄名語録』<普及版>(プレジデントムック)読了
田中角栄元首相曰く。
「ワシの演説を、皆、楽しんで聞いてくれているが、じつは話に信頼感があるからだ。ここでの信頼とは何か。数字をキチンと示すことにある。数字と統計、これに優る説得力はないということだ」
田中元首相の演説は著者によれば、「比喩や例え話を織り交ぜて笑いを誘いつつ、突然、トーンを変えて数字の速射砲を浴びせかけ、現実をつきつけて聴衆の目を醒ます」そうである。
説得力をつけること、信頼感を与えること、「聞かせる演説」における数字の効果はかなり大きいわけである。
田中元首相は生家の経済事情で高等小学校卒であるが、算数・数学はとても得意であったそうである。
「数字を覚えるのは、…スッと頭に入る。数字を見ていると、風邪も治ってしまう」とのことである。
そして、数学の力の効果は、話の説得力を増すことに限らないそうだ。
「大体、どんな難しい話でも、ポイントは一つか、多くても二つくらいなもんだ。そこをより分けるには、数学的にドライに処理していくのが一番いい。物事を簡潔に処理できないリーダーというのは、あり得ない。」
ポイントをしぼり、物事を簡潔に処理する力は、数学で培われるというのだ。
この事については実感があるから、ホント「よくぞ言ってくれた!」なのである。
今年度から副業として個別指導を始めたのだが、中3の数学も教えている。
元は理系志望で数学は苦手ではなかったとはいえ、中3の数学を教えるのは大変だ。たっぷり時間を使って予習をしている。
そのお陰か、頭の切り替えが速くなったみたいだ。
物事、特に他者(予備校講師の私にとっては生徒)に物事を説明するときは、殊更にポイントをしぼり、物事を簡潔にする能力が要求される。
「副業だから準備する」だけでなく、「頭の筋トレ💪」としても、数学をしっかりやり続けたいものだ。
次に「どこを見て政治(仕事)をやっている」のかという話。
うちの予備校でも…(以下は詳細を避けよう)
「リーダーの最後の判断は『公六分・私四分の精神』でやれ。最後は私心、私情を捨てなければならない。公優先の判断なら、失敗しても逆風をかわせる。」
日本史は極めて政治的な内容になり易い。講師自身の政治的主張を織り交ぜようとすれば、イデオロギーの違う生徒から反発されるし、第一そんな話している時間はないのである。
「入試」という目標がある。以上、その目標に沿った努力をすべきである。
入試では頻出だけど印象の薄い人物を覚えて貰うために、面白いエピソードを探すとか、
共通テスト対策のためにテキストや教科書の統計に慣れさせるとか、
授業の中で頻出史料(=文献資料を歴史学ではこのように呼ぶ)を読むようにし、読解上大切な古典文法なキチンと説明するとか、
「私心」は一旦捨てて、「公(=生徒のため)」を第一に考えるべきだと思うし、そこまでやれば生徒の表情が変わる。
心の動いた瞬間なのだ。
この瞬間を見るのは楽しい。
生徒への“師弟愛”的なものとしても喜ばしいことだが、
「心を動かしてやりたい」と思って授業に臨めば、一種のゲーム感覚的な楽しみも生まれる。
先に『栗山ノート』の感想文を書いたが、栗山英樹氏も
「若い人の心を動かしてあげたい」と書いていた。
無味乾燥な繰り返しになりがちな勉強や練習やトレーニングの過程で、心を動かす体験を持つことは生徒のため(=公のため)である。
でも、その一方で「やってみせよう」とゲーム感覚でトライとその準備をするなら、講師自身こため(=私のため)になる。
「私心」を完全に捨ててしまっては、こちらのエネルギーは湧いてこない。
「四分」は「私心」を残したい…というより、考え方の転換次第で、「公のため」のことも「私心」にできるのだ。
発想の転換こそ、幸福の鍵。
その「発想の転換力」は何で養えるのか?
私は数学の幾何(=図形問題)でかなり養えると睨んでいる。
補助線の引き方一つで「おぉー」という瞬間があるよね?
その繰り返しは発想の転換力を鍛えると思う。
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