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栗山英樹著『栗山ノート』(光文社)読了

栗山英樹氏は小学生のときからずっと野球ノートを書き続けている。
ノートの書き方や意味はご自身の成長とともに変わっていった。
今のノートには中国の『論語』等の古典や経営者の著書から抜き出した言葉で埋め尽くされ、野球ノートというより、人生論ノーとになっているらしい。
「古典なんて何の役に立つのか?」
『論語』なんて紀元前5世紀頃に書かれたものである。(※孔子の死去は紀元前5世紀。『論語』は孔子の死去後に孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物とすれば「紀元前5世紀」になる。しかし、実際は孔子の死後間もなく書かれたものではないらしいので悩ましい。)

時代を越えて伝えられ続ける言葉には、普遍性がある。だから、時代を越えて現代人の心に響く言葉も多い。
栗山氏は、ノートにそれらの言葉を書き写し、併せて毎日の自分の思いをノートに書いてきたそうである。

この本全体は
「小学校の先生が児童に言いそうな」
「理想的過ぎる」
「説教臭い」
とこが多々あった。
正直に言えば、そんな箇所ににしらけて読むのを止めたことも何度もあった。

しかし、この本を読了したお陰で、本来なら歴史を大学、大学院と専攻してきた自分こそが知らなければいけない中国古典や先人の「名言」を沢山見つけられた。

恥ずかしながら、この本を読むまで私は『論語』の
「これを知る者はこれを好むに如かず、これを好むものはこれを楽しむに如かず」という言葉を知らなかった。

自分は(頑張って入った)名門中高ては“天文学的に”落ちこぼれた。
それ位中高時代は勉強が嫌いだった。
(※小学生時代は、今問題にされている四谷大塚の教材『予習シリーズ』が大好きだったけどね。がんばれ✊‼️四谷大塚‼️)
にもかかわらず、塾・予備校講師としてはもうかれこれ35年も仕事を続けられている。

勿論、今主に教えているのは専攻した日本史だ。でも、長いキャリアの中で、中学生の英語も数学も社会も教えた経験がある。変わった所では中学入試の理科を大手塾の集団授業で教えたこともある。
集団授業も個別指導もやってきた。

結局はその推進力は何だったのか?

私は生徒や児童の
「わかった~」
「なるほど!そういうことか~」
「へぇ~」
「やったぁできたぁ~」
という表情やactionを見るのが大好きなのである。
これらを見ることが楽しいから、やり続けてこれたのかも知れない。

仕事も勉強も楽しむ者が一番強い。
だから、教師や講師やコーチなどの指導者や教材の執筆者にとって一番大切なスキルは、
「○○は楽しい」と思えるようにできることだと思う。
(※その点でも『予習シリーズ』は素晴らしかった!頑張れ✊四谷大塚‼️)

栗山氏の著書は、最後の最後にそんな私の心を代弁してくれた。
「『感動は推進力だ』先人や偉人の言葉ではなく、私(著者の栗山氏)自身がずっと心のうちで唱え続けている言葉です。『感動する』とは『心を動かされること』や『心を奪われること』を意味します。…(中略)…選手たちの心を動かしてあげたい、といつも考えています。心が動くというのは内発的な動機を得ることで、自分がそうしたい、そうなりたいという願いが勇ましく立ち上がる。…(中略。臭くて鼻につくから🤪)…私が自分の感動を選手にぶつけていけば、選手も『感』じて『動』いてくれる。感動の連鎖というか、響き合うことができます。」
「感動」って言っちゃうと臭いけど、「心が動くこと」とすると、全く同じ気持ちだ。

所詮、勉強なんて本人がやる気にならなければできるようにならない。
だから、指導者にはどうにもできないとかしらける前に、
「どうやったら、心を動かせるか?」を考え続けるべきなのである。
その点自分は先に述べたような、まさに生徒の心の動いた瞬間を見ることがそもそも楽しいと思っているのだから、「べきだ」以前に「楽しいから」だもんね。
そりゃこの仕事は死ぬまで続けたいと思うもんね。

仕事の前の予習(専門用語なら教材研究)は、そのときを想像しながら、ワクワクしてやっている。
『論語』の言葉と著者栗山氏の言葉が、著書では特に結びつけていたわけではない二ヶ所の言葉が、私の中で化学反応をして、お陰で、この本を読み終わった頃からルンルンな気分になれた。

やっぱり読書っていいね。
最近は英語や数学の勉強に力を入れてて、読書がおざなりになっているけど、やっぱり続けていきたい。
もう、「年内50冊」の目標はちょっと無理になったけど、40冊はいけそうなんで。

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