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10min.The 最強の白めし

 洗う前にざっとひと混ぜすると、米が指の間をつぷつぷとすりぬける。半透明な乳白の粒は鍋肌をかすめて、乾いた音を立てる。わたしの指のやわらかい場所は、ひんやりとした粒のかすかな抵抗を楽しむ。さらさらとしっとりのあいだ。そんな表示のシャンプーは売れないだろうけれど、うっすら残った肌糠は手になじむ。
 研ぐまえにひととおり、本日の米の健康診断。

 水を注ぎ、ぐるっと混ぜたら、すぐに水を捨てる。研ぎはスピード勝負。右の手で軽く米をにぎるように四拍子で研ぎ、右回りに祈りをこめる。
「おいしくなぁれ」「おいしくなぁれ」の四拍子。まろやかな水を2度か3度とおして、水をしっかり切ってから、計量カップに水をくむ。
 水の量は季節や天気によって、肌感覚でわずかに変える。

 

 水をはかるのは、なぜか。

 

 話は、17年前にさかのぼる。

 

 

 こどもを迎えに行った園庭で、ママ友と、彼女の上の階に引っ越してきたという矢野さんと3人で話しながら、こども達を待っていた。矢野さんの顔は知っていたけれど、ほとんど話したことはない。話題はこどもの好き嫌いについて。いつの間にかおにぎりの話になっていて、わたしは「うちの炊飯器で炊いたごはん、いまひとつなの」とこぼした。

 その炊飯器は結婚するときに買った8年選手の3合炊きで、米の種類を変えても、水加減を工夫しても、酒やら昆布やらもち米やらを入れてみても、いつもいつでも、表面がふわふわとした艶と香りのとぼしいごはんが炊き上がった。家電量販店で炊飯器をながめてはため息をついたけれど、当時、夫の顔色を見ながら暮らしていたわたしには、買い替えという選択肢はなかった。

 矢野さんは「圧力鍋、使ったことある?」と言った。
 圧力鍋なら結婚祝に頂いた2.4Lのものがある。牛すじを下茹でするときくらいにしか使わなかったから、毎日使おうと思えば使える。そう答えると、矢野さんは「うちは圧力鍋でごはん炊いてるんやけど、おいしいよ」と言った。わたしは矢野さんの話に食いついた。

 水は同量でいい?
 圧力上げたまま何分で、弱火で何分炊くの?
 圧力ピンが下がったら?

 意気込んで質問するわたしに、矢野さんは笑って言った。

「水はお好みでええんちゃう。うちはちょっと少なめやなぁ。いつもおかず作りながら炊いてるから、ええにおいがしてきたら火を止めるんよ。タイマー使てへんから、わからんなぁ。火を入れたら10分くらいかもしれへん。よかったら試してみて。うちのダンナもこどもも、外で食べるごはんより、うちで炊いたごはんのほうがええて言うよ」

 

 

 その日、さっそく圧力鍋でごはんを炊いた。矢野さんの教えに忠実に、自分の嗅覚を信じて湯気を吸いこむ。きっと、このくらい。おいしそう!と感じた瞬間に火をとめる。
 圧力鍋のふたをねじって開けた瞬間、ひろがった香りに顔がほころんだ。湯気のしたには、つやつやと透明の被膜をまとった粒。しゃもじで大きく上下をかえして軽く混ぜると、その艶は全体に行きわたった。

 茶碗によそうと、ひと粒ひと粒が光をまとい、力強く主張しているのがわかる。それまでの炊飯器で炊いた眠そうな米とくらべたら、一目瞭然だった。
 我慢できずに、口にはこぶ。噛んだ瞬間、その弾力とあふれ出す香りに驚いた。
 はじめてで、しかも勘で炊いたとは思えないほどのうま味と香り!

 かわり映えのしないおかずとともにテーブルに並ぶ、ぴかぴかの白めし。
 家族はだれも気づかない。
 でも、わたしだけは知っている。

 わたしが食卓に持ちかえった、矢野家の日常を。

 

 

 当時はパートタイムで働いていて、食事の支度は朝か夕方。幼児をふたりかかえる夕方は、油性マジックでメイク事件とか、左半分だけ斬新ショートヘア事件とか、ジュースの足あと逃走事件とか、いま振りかえるとほほえましい、でもその瞬間は発狂しそうな事件が日々勃発していて、わたしの野生の勘だけでは絶妙の炊き加減をのがすことは確実だった。

 だから、はじめて圧力鍋で炊いた翌日、キッチンタイマーを使って実験することにした。圧力を保つ時間を10分と仮定して、毎日30秒ずつ減らしながら炊き、好みの味と食感を探す。
 そのうちポット型の浄水器に出会って、最強の白めしが完成した。今でもその方法で、わたしは日々のごはんを炊いている。

 

 

 もしもあの日、矢野さんと話さなかったら、わたしは炊飯器への不満などそのうち忘れて、香りも味も歯ごたえも薄いごはんを今も食べつづけていたかもしれない。

 他人の暮らしの、未知の常識。
 それは、半径60cmのちいさな畑だ。
 
 友達の家に遊びにいくとき、だれかと共に暮らしはじめるとき、だれかの話に耳を傾けるとき、わたしはあらたな畑、はじめての作物に出会う。自分の作物とのちがいに目をみはり、そっと触れ、味わい、その種をもらって帰る。
 興味のおもむくまま種まきした自分の畑は、さまざまな作物が芽ばえ、やがてゆたかに実っていく。

 今日もだれかの話に耳を傾けながら、わたしは耕している。
 わたしの手のひらサイズの文化を。

 

 

 

==あとがき========

 

 このエッセイは、#異文化カルチャーシェア活 というリレー企画に参加しています。
 実はこのバトン、2本持って走っています。


 1本目を回してくださったのは、シモーヌさん。

 本来ならば、そのバトンの記事をシェアすべきなのですが、その内容をくわしく書いた別の記事はさらにおすすめなので、そちらを貼りますね。

■最強の沈黙

 これこそ、まさに異文化。見たことも聞いたこともない世界の話で、圧倒されたし、興味も湧きました。最強の沈黙の世界、ぜひ覗いてみてください。読むだけなら沈黙しなくても大丈夫。きっとあなたも知らない世界が、そこにあります。

 

 2本目のバトンを回してくださったのは、noteで書きはじめて間もない頃からのお友達、こばやしきたるさん。
 
 きたるさんはイラストを描いています。彼女の描く登場人物は、いつもみんな気持ちよさそうなんです。きっと、きたるさんのイラストのなかは居心地がいいんでしょうね。しめじさんのアイコンも、きたるさんの作品です。

■イラストが出来ました。 ~コウさんの詩に乗せて~


 

 今回のテーマ、「異文化」
 バトンを受け取ったとき、途方にくれました。
 すぐに思い浮かんだのは、海外です。多感な時期におとずれたアウシュビッツ収容所。でも、気軽に書ける話ではなくて、書きかけのままになっています。

「異文化」って、なんだろう?
 何日ものあいだ、この問いにつかまりました。なんでも書けるといえば書ける、ひろいテーマ。

 思い悩んでいくつか書いたうえ、わたしらしく「手のひらサイズの日常」で出会った異文化を紹介することにしました。
「米を炊く」、ただそれだけを見つめる2000字。書けて自己満足しています。シモーヌさん、貴重な体験をありがとうございました。

 そうそう、わたしが行きついた最強の白めしのレシピを、書いていませんでしたね。すこし硬めのもっちりしたごはんが好みのかたにはおすすめですが、あくまでも、わたしの好みですからね。
 ちなみに、同じくわたしに異文化を運んでくるおとちゃんは、この白めしの大ファンです。

 

■水野うた流/最強の白めし

<材料>
米:好みはあきたこまち
 (もちもち食感が苦手なかたは、別のお米で)
水:1合あたり160-170cc(米の状態に合わせる)

<炊き方>
1.米を研ぐ。最初の水はすぐに捨て、研いでから洗う。
2.水を計量して入れる。基本、浸水はしない。
 (柔らかめが好きなら30分以上浸水)
3.圧力鍋のふたをセットし、強火にかける。
4.高圧になったら弱火にして、6分間加熱する。
5.火を止め、圧力ピンが下がるまで放置して蒸らす。
 (鍋に水をかけるなど、急な冷却はしない)
6.圧力ピンが下がったら、すぐにふたをあけて、しゃもじで米の上下をかえしてさっと混ぜる。
 (長く放置すると、米の艶が失われ、上は硬めに、下は蒸気が冷えた水滴でべちゃべちゃになります)

※ 浄水器等で濾過した雑味のない軟水や、安全な井戸水を使って炊くと、よりおいしくなるかもしれません。

 

 先日、こんちゃんに圧力鍋で炊いたごはんへの偏愛を語ったことが、このnoteを書く直接的なきっかけでした。こんちゃん、ありがとうございます!


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 最後になりましたが、このバトンはチェーンナーさんにおかえししますね。
「異文化」ってなんだろう? 「文化」とは?
 その広いテーマをじっくり考える機会をいただき、ありがとうございました。


ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!