見出し画像

イメージとリアリティのはざまで

文章を書くとき、みなさんは言葉をどのように選ぶのでしょう?

浮かんだイメージを言葉にするとき、そこには無限の可能性があります。
選んだ言葉ひとつひとつで構築する世界は、いかようにも変容させることができるのですから。

説明的な言葉と、感覚的な言葉。
具体的な表現と、抽象的な表現。
書くことと、書かないこと。

言葉のパズルによって、浮かんだイメージ(A)は文章化されます。
そして、その文章は、読み手の脳内で再度イメージ化(B)されるのです。
このAとBのイメージがぴったり重なり合うのは、おそらく稀なことでしょう。
書き手の表現の解像度や、読み手の経験や感受性のフィルターによって、再現されるBは書き手が見ている景色Aとは異なったものになりがちだからです。

書き手としては、できる限り余すところなく自分の心象風景を伝えたい。
だから、ていねいに言葉を選び、比喩表現を書き直し、書きすぎた言葉を削り、言葉の順番を入れ替えながら、幾度も推敲を繰り返すのでしょう。

 

こんなことを考えたきっかけは、あきやまやすこさんの短いエッセイです。
幼い我が子の育児中だった頃のやすこさんが感じた、童謡「おかあさん」の歌詞へのちいさな違和感。やすこさんは、その違和感を切り口に、その童謡が作られた当時の日本の家庭環境に思いを馳せています。

曲の歌詞は、こちら。

おかあさん
なあに
おかあさんて いい におい
せんたく していた においでしょ
しゃぼんの あわの においでしょ

おかあさん
なあに
おかあさんて いい におい
おりょうり していた においでしょ
たまごやきの においでしょ

 出典:うたまっぷ 童謡「おかあさん」
 作詞:田中ナナ 作曲:中田喜直

「おかあさんて いい におい」
抱きしめられて、あるいは頭をなでられたり頬を両手で包まれたりしたときに感じる、ほっとする「おかあさん」の香り。
その“ほっ”という安心感を導き出す香りのモチーフとして、「しゃぼんの あわ」と「たまごやき」が描かれています。

「しゃぼん」からは、清潔感ある香り、洗濯板でごしごし洗う音、物干し台にはためく白いシーツのまぶしさを感じます。
「たまごやき」からは、卵とお砂糖のふんわりと甘い香り、台所に立つ「おかあさん」の後ろ姿(昔は対面式キッチンなんてなかったのです)、熱した卵焼き器に卵液を流し込むときのジューッという音、黄色い楕円の渦を巻いた断面、食卓のうえでパッと目を惹く明るい彩りを感じます。

このふたつのモチーフは、「におい」と書かれていながらとても視覚的で、そのままちいさな絵本になりそうですし、やわらかな音楽と、生活の効果音を足せば映像にもなりそうです。
こどもが安心して身をまかせられる、昭和の「おかあさん」のイメージですよね。
さらに、極限まで言葉を削った端的な表現と、読み手(歌い手・聴き手)の誰もがイメージを想起できる言葉選びにより、おそらく多くの人が似たようなイメージを脳内で再現できているはずです。

 

あくまで私の推測にすぎませんが、やすこさんが感じた“ちいさな違和感”の正体は、再現されたイメージと、平成の真ん中で育児中だった当時のやすこさんのリアリティとのギャップなのではないでしょうか。
やすこさんは昭和に書かれた歌詞であることに思いを馳せながらも、平成時代のこどもがうれしい「におい」のリアリティを「たまごやき」と比較して、こう書いています。

やっぱり、肉の焼ける匂いとか、もっと強烈なものに子供は反応するんじゃないでしょうか。小さいから、カレーはまだかもしれないけど、ハンバーグとかスパゲッティーとか。

 

こどもの頃の香りの記憶をたぐりよせると、よく頭を撫で抱きあげてくれた父の香水と煙草の香りが真っ先に浮かびます。逆に、幼い頃とても厳しかった母の香りの記憶は残念ながらほとんどありません。

アテにならない個人的な記憶は脇に置いておくとして、香りのリアリティを追及すると、調理後の指先に残る香りの1位は、玉ねぎを刻んだあとの香りのような気がします。にんにくやネギやニラも残りますが、私のなかでは、調理後いちばん気になる香りは玉ねぎです。

ちょっと考えてみてください。
もしも「おかあさん」の歌詞が「たまぁーねぎぃーのにおいでしょ」だったとしたら・・・市民権を得るような童謡になったでしょうか?
その香りだけではなく、「玉ねぎのにおい」から想起されるイメージも、「たまごやき」とはずいぶん異なるように感じます。

まずは、ビジュアルです。
先ほど「たまごやき」は“視覚的”だと書きました。鮮やかで明るい黄色は、視覚にも食欲にも訴えかけてきます。
一方の「玉ねぎ」は皮つきなら茶色、剥いたら白色、火が通ると無色透明に近くなります。切る前のコロンとした形状は安定していて美しいけれど、色彩を考えると、画的に地味に感じます。

次に、料理です。
「たまごやき」は、その香りから、口に含んだときのふんわりとした甘さ、層をなした弾力のある歯ざわりが連想されますし、同じ卵料理でも、明らかに目玉焼きとは違うアイデンティティがあります。
一方の「玉ねぎ」、その香りから連想されるのは、「生」。もちろん、さらした新玉ねぎに鰹節かけて醤油を数滴・・・は春の味覚だけれど、大人のものですよね。こどもにとっては、「玉ねぎ=切ったら目が痛くて涙が出る」かもしれません。

こう考えると、こども向けの歌詞のモチーフにするなら、やっぱり「玉ねぎ」より「たまごやき」ですよね。

 

私のnoteは日常を綴ったものがほとんどで、詩はほとんどありません。
ですから、歌詞のように極限まで削ることはありませんが、私の思い描いたイメージをできるだけ届けられるよう言葉を選び、迷って悩んで書いては消し消しては書いて、文章を紡いでいます。
余分なリアリティを消すために、抽象的な表現をしたり、あえて書かない部分を作ったり。
五感で感じ取ったリアリティを強調するために、オノマトペ(擬音語・擬態語)を工夫したり。

文章は公開してしまったら、読んでくださる誰かのものにもなるけれど、公開するまでは私のもの。
イメージとリアリティのはざまで揺れながら、今日も私は言葉を尽くして描きます。

もしも私のイメージが伝わっていたならば、そのとき私は言葉にするのがもったいないほど幸せです。

=== 2020.11.7 追記 ===

百瀬七海さんが、【書き手のための変奏曲】企画で、この記事をリライトしてくださいました!

百瀬さんのリライトは、私が描きたかった部分をすべて網羅しながらも、500字程度に縮約されていて、その短く美しい文章に、感動です!(短く書けるよう精進します)

まるで都会へ出てまるで別人のように垢抜けた我が子と、久しぶりに再会したような気分になりました。

百瀬さん、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

note感想文

noteの書き方

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!