黒い犬

先日、カウンセラーさんから、「生きること自体に疑問を持ち、悩むのも、希死念慮に苦しむのも、人間のほんの数%」と聴いたのだが、ほんとうだろうか?

わたしは10代から、ずっと、生きること、そもそも生まれてきたこと自体、疑問であり、苦しみだった。

だからなのだろう。
「わたしのほんとうのお父さんとお母さんは別にいる。早く月へ帰りたい」と思い、『かぐや姫』は、「わたしのための物語」と思って憚らぬ幼少期だった。

親子の葛藤はそれなりにあったとはいえ、両親は、わたしを虐待したり育児放棄などすることは一切なく、大切に育ててくれた。
血のつながりも疑いようもなく事実である。
それなのに、なぜか違和感があった。

いつだったか、友のすきな韓国アイドルの自死が報じられたとき、黒い犬の動画が広く知られ、「あなたも、そうだったの?黒い犬に苛まれていたの?」と訊かれ、泣かれたことがある。

わたしが、鬱、かつ、不登校だったからだが、わたしはむしろ、「え、あなたは、初めてこの犬を知るの?」と驚いた。

「これまで、気づいてあげられなくて、ごめん。でも、わたし、こういうことを、一度も思ったことがない」と、友は言った。
二重の驚きだった。

わたしは、彼女を、羨ましい、と思った。
が、同時に、この友と、ずっと友でいられるのだろうかと、不安になった。

優しい彼女は、いまも友でいてくれる。

でも、それでも、わたしは、あのとき感じた、切ない孤独と孤立を、拭えないままなのだ。

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