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優れたアートはすべて、インタラクティブ。

interactという英単語を辞書でひくと、相互作用という解説が出てくる。

つまり、互いに何かしらのアクションを交換するということで、これを芸術の分野に応用したものが、インタラクティブアートとなる。

画面を触ると、絵が動くとか、ある通路を通ると音楽が流れるとか、または、iphoneというデバイスもそのデザイン性、機能性の面から充分に革新的なインタラクティブアートだ。

この言葉の定義は、実際に、作品が動くということがその前提条件ようだ。それまでのアート、例えば絵画にしても、受け手である鑑賞者の感動はじかに作品には伝わらないし、絵が動くこともない。物理的には、けしてインタラクティブではないし、感覚的な刺激において、瞬間的なインパクトは限られている。

かりにゴッホのひまわりが動いたとしたら、私たちは、もっと容易に、絵がもたらす美的な感動を受け取れるだろう。

絵画は、動かない。

これはあくまでフィジカルの面でのインタラクトがないという意味であり、けれども、本質的にはすぐれたアートはすべてインタラクティブだと私は思っている。もっともそれは文学的、あるいは精神的な意味であるけれど。

鑑賞者が絵に感動するということは、同時にそのひとの感受性が改変されるという意味を持つ。

よく言われることだけれど、芸術を鑑賞するにはまず目を鍛えなければならず、美意識が育たなければ絵は理解できない。と、同時に、美意識というものは、育成可能だ。音楽が好きなひとは、やがて、自分の好みが歳とともに変わってくるのが分かるだろう。これは、一面、美意識の変化ともいえる。

そして、これこそが重要なのだけれど、アートへの感受性が変わる、つまり見る目が変わるということは、実際にそれまで漠然と眺めていた作品が違う意味を持ち始めるということだ。つまり、作品のほうが変化してしまうのだ。

読書家には、よくあることだけれど、若いときには理解できなかった本が歳を取ると簡単に腑に落ちることがある。これは当然、作品ではなく、読み手が変わったととるのが正確だ。

しかし、それではあまりに当たり前に過ぎる。

さきにいったように優れたアートとはみなインタラクティブなのだ。

作品には多様な意味が込められ、それは作者の意図を超える、つまり、作品自体が生命をもっているし、それは必ずポエティックなのだ。

ゴッホの絵が以前と違って見えるというのは、絵がその感動を受容しているからだ。芸術においてポエジーは動的なのだ。かなりスピリチュアルだけれど、アートの本質はそこにある。

アートにおけるインタラクティブは、精神的な相互作用にあり(作品と精神が対話し、情報を交換する)これがなけれは、たとえ物理的に絵が動いたとしても、インタラクティブアートとはいえなくなる。

では、また!

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