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もし自殺したらどうなるか
高い所に立っていた。フラフラする。
夜だ。
何十メートルあるだろう。下しか見ていない。
あそこにどんな風に体が落ち、どんな風に潰れる。
うまく潰れるかな。しくじれば身体障害者になってもっと世間に迷惑をかけるんだぞ?お前。
若い頃のことだ。
手首の傷たち、大量の薬、頭から油をかぶってライターを手にしたこと。
なんべんもあった。そんなことが。笑わば笑え。いま死にたいと思ってる人に、この生き恥を話しておかなければならないんだから。
警察の人や、家族や、病院の人、いろんな先生たち。
そして通りかかった沢山の人たちが、こんにちまで私を生かしてくれた。
そして数年前から、少し分かるようになったことがある。
ある霊能者の人が、高層ビルのレストラン階で食事をしていた。
と、向かいのビルの屋上から、フラフラ飛び降りようとしている人がいる。
一瞬「助けないと!通報しなきゃ!」と思ったが、次の瞬間その人は飛び降り…
そしてまたもとの場所に現れ、またフラフラ揺れている。
「ああ、自殺者か」
その人は、見たくなくても見えてしまう人で苦労をされたが、自殺者の霊というのはほぼ100%、「その瞬間」を繰り返しているという。
「つまり、死ぬほどの苦しみから逃れようとして、でも死にきれなくて、どん底の絶望と恐怖の中で、ついにやってしまうんだよね。
でも、本人は死んだことが自覚できてない。で、その自殺のシーンをエンエンやってるのよ。
私は天国とか地獄とか知らないよ、見たことないし。でもさ。
死ぬほどの苦しみが永遠に続いてそこから出られない。自殺者はみんなそう。何十年何百年経ってるのもザラ。
思うんだけどさ、それこそが、地獄じゃないかな。死ぬほどの苦しみが永遠に続くなんて」
その話を知ったのは、ずっとあとのことだ。
何度も死にかけて、そのたびに還ってきて、生き恥をさらして生きてるなんてと頭を抱えた。何を甘えたことを私は。
本当に死にかけた時、いわゆるひとつの「あそこ」へ行った。
変な話だが、一種の歓待を受けた。
金色の大きな池のほとりに一人立っている。
向こう岸に五重の塔が見える。何もかもが美しく、春のように心地がよい。
「ああ、ここは帝釈天さまのお池だ。だからもう大丈夫なんだ」
と、何故か思った。
と、池の向こうから、水鳥のつがいが泳いできた。孔雀を全身金色にして、尾羽を取ったような感じだ。
かれらは私の前まで来ると、さかんに長い首で水面をすくい、飲むような仕草をしてみせる。
「この水を飲めってこと?」
そこで、ひざまずいて池の水を飲んだ。
それは、まさにネクタル、ソーマ、アムリタ、神の水としか言いようがなかった。
こんなうまい水を飲んだことはない。
その味も覚えている。
いくらでも飲めた。
砂漠で何週間もさまよった後に差し出されるリッターのポカリ。
ラクダのようにいくらでも飲みながら、思った。
「これ飲んだら帰れってことか。まだやることが残ってるらしい」
気がつくと、病院のベッドでナースに叱られていた。死ぬとこだったのよ、と。
運がよかった。もし行ってれば、血走った眼で生きるか死ぬかしか考えないあの瞬間の地獄を永遠に?
泣き叫び自棄を起こして闇へ、虚無へ走ろうとしていた私を抱っこして必死で止めてくれていた、あの存在はなんだった?
誰にも見えない、名乗らない、なのに誰もが信じたい、あのヒーローは。
それは各自が探すことだ。私が宗教を持たないのもそのせいだ。簡単に信じたりするのは危険だから。
ずっと考えていたから。人間の考える「神」が全部「人の形」なのはどうかしてると。猫なら?鳥なら?昔話にあったね、そんなの。
私は分かりやすく、ただ神さま、と呼んでる。形はない。分かんない。
でも、きれいだなとか、うれしいなとか思うものはみんなそうだと思う。
そして同居してる親みたいに、よく話しかける。
神さまは、水の中にも花の中にも肉の中にも道具の中にも光の中にも時間の中にも、なんの中にでも入ってて、基本怒りはしない。
つらいときのいちばんの親友。勝手にそう決めている。
話しかける。笑いかける。そして忘れてただ生きる。
怖がるな、ということを、究極の体験をくれることで教えてくれた。あわてるな、怖がるな。それで引き起こされる事故で傷つくのは自分だけじゃないぞ?
怖がってもいい。怖がらなければならないことは。
でも決してその対象を間違うな。絶望だけはするな。それは問答無用でダメだ。生まれたこと、生きてることにはそれぞれ役割がある。自分で探してまっとうしなよ。
お前はひとりぼっちかな?
ウウン、と私は答える。
気がつかなかっただけ。ごめんなさい神さま。だいすきだよ神さま。お花あげる。どう?
きれいだね。ありがとう。
人の色が見えるようになったのはその頃からだ。色とその特徴を言うと当たってると驚かれるので、黙ってる。
日本人は、ブルーとグリーンが多いよ。悲しみやすく、穏やかだ。
T兄の色?私の色?
ナイショ。そのうちね。
その色が劇的に濁るとろくでもないことになるようだ。これも見てきて知ったこと。私もそのどぶ泥にいたんだよ。
生きるのはしんどい、なんて決めないでよ。
あなたが決めていいことじゃねえんだよ。
そこで一所懸命遊んでる小さい子たちに失礼だろう。
けなげな人たちに失礼だろう。
昨日食ったマックのために死んでくれた牛に失礼だろう。
生きたい生きたいと願ってても死ななきゃならないものたちに、失礼だろう。
目が覚める。一人でトイレに行ける。水が飲める。美しい思い出もあるし、考えることのできる脳もある。色々なことができる手もある。ちゃんとぐーと鳴ってくれるおなかも。毎日同じのはひとつとしてない天も。
死ぬことは決まってるよ。でもみんな死んできたんだし決まってるから怖がらなくていい。
やらなきゃならないことがある。
正気に戻ったら、それを想って。
あの世にそれは待ってない、今生にぜんぶある。目を開ければ見える。怖がったら目、つぶってしまうんだよな。
やるべき使命。
それは虹色をしている。あるいはあなたの好きな、何か美しい色だ。
そして、その気になれば今すぐにでも触って、感じることができる。遠くにはない、小さいきれいな虹なんだ。たとえば誰かの笑顔とか。
死にたがっていたけど今は生きることにした私の、その都度のホンネ。
「私は『死ぬほど』生きたかった」。
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