切ない


 切ない。
 彼女がそういった。僕は何も返せなかった。喫茶店を出て、彼女と別れると、僕は先ほどの場面を反芻した。彼女は何故「切ない」などと口に出したのだろうか。僕に何と言ってもらいたかったのだろうか。彼女は何を考えているかいつも分からない、謎めいた美人である。そこがまた彼女の魅力でもあったが、僕は背伸びしてついていくのに精一杯だった。どだい、14歳と19歳という歳の差である。僕は彼女のことを理解したくても、人生経験というやつがまだ足りなかったのだった。
 家に帰ると、僕は昼寝した。すると夢を見た。僕はたった一人で化け物と闘っている。化け物を倒したら宝物が貰える。けれども、たった一人しかいないから、宝物を貰っても使い道が無いのである。そこまで考えが及んだところで、いつ果てるかもしれない孤独な闘いが嘆かれ、ふと子供時代の幸せだった景色を思い出した。オモチャに囲まれ、母が甘やかしてくれた、柔らかな陽光差し込むある日の家の風景である。僕は幸せだった。大好きな母がいて、僕は大好きなオモチャで遊んでいる。母は僕が幸せであることを要求したし、僕も母の要求通りに生きていた。そこで目が覚めた。
 目が覚めると、心臓がドクドクしているのを感じた。締め付けられるように、痛いのである。切ない、と思った。
 翌日、彼女はまた「切ない。」とこぼした。僕はまた何も答えなかった。「何も聞かないの。」彼女が言う。
「何とも言えないんだ。」
「あなたって冷たい人なのね。」
彼女はそっぽを向いて、喫茶店を出ていってしまった。そうなのか。僕は冷たいのだろうか。しかし、「切ない」という感情は、どうしようもないから切ないのではないか。僕は喉まで出かかった反論をグッとこらえて、しばらく座っていた。目の前には、まだ湯気の立つコーヒーが2つ並んでいる。
 どうやら、彼女との関係はこれで終わりかもしれない。僕はそう思うと、喫茶店を後にした。季節は冬である。外は風が強かった。寒風である。ビュンビュンと、風が僕を横から殴り付ける。これもまた「切ない」であるなと思った。


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