旅日記 天理教の本部見学

 そうだ。天理市に行こうと思った。4月からの就職先の関係で、春からは京都から離れなければならないのだ。ならば、今のうちに興味のある場所は行ったほうがいいではないか。
 元より友達のいない私である。スケジュールはとても柔軟に対応可能だ。翌日に電車に飛び乗ると、京都から天理市まで、一時間、車窓の景色を楽しんだ。だだっ広い平原に、ちらほらと住宅がみえる。奈良は京都に比べて田舎だから、こんなものなのだろう。山がみえる。空は青い。今から私は天理市に向かうのだ。
 天理市につく。至るところに、「おかえりなさい」という看板が目についた。天理市は人類発祥の「ぢば」があり、人間は一度は必ず、ここに戻ってくるという教えから、天理市に来ることを「おぢばがえり」と言うらしい。おぢばがえり。とても響きの良い言葉だ。天理教独自の世界観が出ている。ひらがなであるところが良い。
 天理教本部「おやさとやかた」を訪れる。巨大な木造建築は圧巻だ。もっとも、おやさとやかたでなくとも、天理市には各所に「詰所」という信者のための宿泊施設があり、その建物も和風な出で立ちでだいぶ存在感がある。
 中に入って参拝するのには勇気がいるので、インフォメーションセンターで受付さんに、案内を申し込んでもらった。すぐにボランティア(教会用語で"ひのきしん"と言うらしい)が飛んできた。気の良さそうな眼鏡の男の人である。
 男の人は解説しながら参拝までの順路を案内してくれた。男の人は私の目をじっとみながら解説するので、視線恐怖症の私も負けないぞとチラチラ視線をそらしながら、男の人を見つめ返した。男の人がそらす。悪いかなと思って私もそらす。また男の人が見てくる。あわてて私も見つめる。解説は上の空であった。
 おやさとやかたの中はとても壮大な景色であった。数千人は収容できるかと思われるような畳が、御本尊?(ぢば)を取り囲んで四方に広がっている。どことなく薄暗いのだが、参拝にきた信者がこの広大なスペースに点在しており、一様に「みかぐらうた」という歌を振り付けしながら歌っている。神秘的であった。私は女子高生らしき若い女性の歌うみかぐらうたをずっと聞いていた。とても綺麗な歌声で、うっとりとした。
 帰りはYouTuberのえらてんさんが紹介していた天理大学の学生がやっているカフェで、コーヒーを一杯飲んだ。持ってきたナイフ・コレクターの本と、ヘッセの「知と愛」を開き、しばしこの空間に身を委ねた。店内には他に学生たちが穏やかに懇談していて、小ぢんまりながらも自由な空気が広がっていた。会計のとき、えらてんさんの動画をみてこの店に来たことを伝えると、店員さんが気を聞かせて喋りかけてくれたのだが、帰るタイミングをうしないかねないと思い、少し慌てるような感じで店を出てしまった。えらてんさんのことは注文のときに話したら良かった。心残りである。
 帰りみち。天理商店街を駅のほうに向かっていると、お爺ちゃんお婆ちゃんが、孫らしき子供二人と紙飛行機で遊んでいるのがみえた。孫の紙飛行機が私の足元に落ちてくる。拾って子供にそれを渡すと、子供はそれを受け取り、何も言わずにすぐにまた遊びに夢中になった。お爺ちゃんが「ありがとうございます。◯◯(孫の名前?)、お兄さんにありがとうは?」と呼び掛けた。呼び掛けられた孫はじきに、「ありがとうございます」と笑いかけてくれた。俺も「ありがとう」と言った。
 
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