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コンビニ人間が歩く正常と異常の境界|『コンビニ人間』村田沙耶香

小鳥の死骸を見て、「父親が好きだから持って帰って焼き鳥にしよう」。

喧嘩を止めてと言われて、「スコップで二人を殴って止めよう」。

感情の欠落した合理的な思考回路から、幼少期より「異常」として扱われてきた『コンビニ人間』の主人公 恵子。彼女はなにがおかしいのかわからないが、両親や妹の悲しむ姿は見たくなくて、その「異常」を「治さなければ」と考えてきた。

大学生になり、コンビニでのアルバイトをはじめた恵子は、 コンビニ店員としてマニュアル通りに動くことで、社会の一部として自分が「正常」に機能できていることを実感する。「治った」ように見せかけられていることに満足する恵子。しかし、 36歳を迎えてくると、今度はコンビニでアルバイトを続けていることや結婚していないことで、また周囲から「異常」として扱われだす。

そんな中で恵子は同じコンビニに婚活目的で働き始めた男性 白羽と出会い、同じく周囲から「異常」とされる存在である彼との奇妙なやり取りがはじまるーー。

異常と正常の対比を主題とした作品は好んで読むが、多くは「異常」とされる人が自分を排除しようとする世界に抗っていたり、逆に無関心に自身をまっとうしたりというもの。

一方で、この作品の「異常」な主人公は、抗うでも無関心でもなく、 社会適合へのプレッシャーを淡々と受け止め、周囲の「正常」な人のしゃべり方や表情を模倣して溶け込んでいるようにみせかけていく。 「正常」側の人間に「常識」を押し付けられることには、煩わしさをかんじながらも憤ることはない。

そんな主人公のスタンスに自己防衛的無機質さを見るが、そこに波紋を広げるのが白羽。途中から登場する彼の社会への好戦的な発言にエグみある対比を感じる。

コンビニ人間として無感情に社会に溶けようとする主人公と、社会に敵対しながらも「正常」とされたいとあがく白羽、そして自分を「正常」として「異常者」を矯正しようとする周囲。このコントラストが非常に気持ち悪い。見たくないものを暴かれていく感覚だ。

正常と異常は確実に社会に存在する。多様性が受け入れられつつあると言ったって、自分を正常とする人々は、異常とする人々を受け入れない。正常と異常の区別はその判断者の立場によるし、時代にもよる。地域にもよる。

常に変わり続ける異常と正常の境界に、人は今日も惑わされている。

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