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多角的視点の原点のひとつ


6-12歳の頃に習っていた日本舞踊
舞台に立つのはだいたい公民館ではあったが毎度多くの方が観に来て下さっていた


よく覚えている
とあるひとコマ


初舞台だったかどうかは定かでないが
舞台中央での踊りの途中
小物を取りに行くためにくるりと体勢を変え舞台後方へと行った際に
お家元に言われた言葉


「もし振りを忘れたら何でもいいから踊りなさい。つっ立ちさえしなければ、誰も忘れたなんて分かりゃしないんだから」


6歳の私は
ピッカーンと
頭の先からつま先まで全身で納得し
心の底からそれを信じた


平気な顔して嘘をつく
ということでなく
練習不足でもどうにかなる
ということでもなく

ひとつの出来事に対して
・それぞれの立場により見方は異なること
・人はそれぞれ好きなように物事を解釈すること
・本人の状態と他者から見た様子は同じではないこと
・それらを知っていれば慌てないですむこと
などなど


物事は物事でしかない
意味をつけるのはそれぞれの人である

ということを
五感を通して理解した

ライトを浴びながらの身体表現の真っ最中という
右脳が活性化しつつ緊張状態だったことも大きかっただろう

普段のお稽古の時に何度も言われていたとしても
右から左へスルーしていたかもしれない

自分
お家元
観客
舞台袖にいる次の出番の人
兄弟弟子
どこかから見ている親

それら全体を俯瞰する目

同じ視点は存在せず
そこに存在する人の数だけ視点がある


つまり


自分と他者は違う

人と人は違う

似てはいるとしても

同じものはこの世に存在しない

だからどんな存在も

全て尊い


なーんてこと言葉にできるはずない6歳児であったが
感覚としてそういうものを理解したのだと思う


そしてもうひとつ今気づいたのは
私が鏡に写った自分を撮りたくなるのは
一面鏡張りのお稽古場で
着物を着て
何度も何度も舞う練習をする自分を
目端で見つめていたからかもしれない

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写真は一昨年の7/9
浅草蛍堂地下(撮影許可済)

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生きやすい人がふえますように

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