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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『短編小説の書き方』

著者が突然、短編小説を書き方がわからなくなる。長編小説は書けるのに。著者は「長編と短編は使う筋肉が違うのだ」と思う。

私自身、小説を書いているが、短編小説やショート・ショートしか書けない。思いつきで書いていくタイプなので、長編小説のようにプロットをしっかり形作って書くのが苦手なのだろう。(因みに長編小説を書きたいとは思っています。)

著者は短編小説を書けなくなったことに、あまり動揺しない。「短編に対する心意気」が低くなってしまったと言う。

その理由は作家デビューしてからのあまりの忙しさにあったようで、「なんでこんなに忙しいんだよ」、「絶対におかしい」とキレてしまいます。

著者は、環境を変えるためにフラダンスを始めます。そこで新たな場所と友人を見つけます。
久しぶりに空を見ます。そして、「そういえば、おととしは毎日のように空を見ていた」ことに気づきます。
カメも「何故か」買い始めます。そしてカメののんびりした姿に癒やされます。
そうした経験を踏むことで、短編小説の書き方を思い出します。「短編小説っていうのは、こういうことを書くんだ」って。

筆者にとって短編小説とは日々の生活であり、日常の美しさでした。いろいろな新しい経験を積むことが、田口ランディに短編小説を書かせていたというわけです。(私の短編小説の書き方とは全然違いますが。)

著者は新しい経験を「ゲート」に例えます。世の中にはたくさんの「ゲート」があり、それは「私が命というものと繋がるための、世界のゲート」なのです。「生きる力を取り戻すゲート」なのです。
田口ランディの活力はたくさんの「ゲート」を開くことによって生まれます。

私たちのまわりにもたくさんの「ゲート」があります。後はその「ゲート」を開く勇気があるかです。

小説を書く者として言えば、「ゲート」をたくさん持っていること、たくさんの「ゲート」を見つけ、それを開くことが、直接的にも間接的にも小説を書くことに繋がっている。それを忘れないで、「ゲート」を開く勇気を持って生きていきたいと思えたエッセイでした。

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