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死んだ人間は生き返らない、でも

こんばんば、みーたん(@SawadaMizuki)です。

フィルム写真をメインに撮影している、アラサーフォトグラファーです。最近は写真集の制作に追われ、胃が痛い日々です。


今回は、先日実家で両親の結婚式のビデオをみた話。それをきっかけに、「記録」というものが持つ力について考えてみた。

その時感じたことをまとめておこうと思う。

今の私の原点、写真を好きになった理由はこちらをどうぞ。


そのビデオは、青色の画面に真っ赤な「寿」の文字から始まった。

荒い画面に映される、両親の結婚式の映像。

VHS(ビデオテープ)が劣化して見れなくなってしまう前にデータ化しておこう、そう思った父がビデオをHDDにダビング(データ化)している間、再生されている映像に気づけば見入っている私たちがいた。

映像の中には、もういない祖父母や若かりし頃の両親をはじめ、まだ10代の叔父や叔母、近所の人、などが映っていた。

今はもういない人に、こうして会うことができる。自分の存在していない時代の知らない時間を共有してもらえるって不思議な感覚。

この映像を両親と彼氏と私の4人で観ていた。お父さんは弟のギター演奏に涙を流し、お母さんは自分の白無垢姿に照れて最後までは観れなかった。私の彼氏は、知らない人ばかりの映像なのに、隣で少し涙ぐんでいた。私は、大好きだった祖父母にまた会えてとても嬉しかった。

記録に残すことの意味ってこうゆうことなんだろうな。

数十年経ってその時の気持ちに戻れたり、今はいない人に会えたり。また心の中に幸せな気持ちが生まれて、誰かに共有したくなる。


記録の持つ力って、すごいね。

似たようなことを考える機会が、最近もうひとつあった。

ずっと気になっていたけど観ていなかった映画『すずめの戸締り』を観た。映画を観るまで、主人公が東日本大震災の被災者だという設定をしらなかった。

私の実家がある地域も、原子力発電所が近い。もし大きな地震が起きれば、私も故郷に帰れなくなる日がくるかもしれない。

地震に限らず、どんな災害で今は当たり前の景色が壊されるかはわからない。だから今、見えてる景色や、私の故郷を構成するもの全て、記録しそれを発信することは私がやるべきことなんだ、そんな風に感じた。



私が写真を好きになったきっかけは、おじいちゃんがくれたフィルムカメラだった。

私がいつも使っているカメラMamiya RZ 67 PRO IIは、おばあちゃんが残してくれた孫貯金で買ったものだ。

月並みな言い方になるけど、今の自分は誰かに生かされている。

それは、ごはんを作ってもらったとかお風呂に入れてもらったとか衣食住としての「生かす」というよりは、生きがいになるような、人生においてやりがいを感じられる、「生きる意味」みたいなものを、つなぎ与えてもらったという感覚。

 死んだ人間は生き返らない、でも

私たちはその人が与えてくれたものを、自分の中で生かし続けることができるんじゃないかな。


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