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人生の目的なんか、「サウナ行きたい」とかでよくない?

やっほー、みーたんです。

現在、写真家として写真集の制作に励みながら、1ヶ月後に控えたフィジー渡航&その後のオーストラリアワーホリの準備もなんとかがんばっている、アラサーです。

今回は「目標設定」についてのお話し。同じテーマで一度noteを書いたことがあるので、よければこちらもあわせてどうぞ。


あなたには今、人生の目標ってありますか?

私は、今でこそ自分の人生の軸生きていく上で大切にしたい価値観が見えている。自分は「今この瞬間を生きる!楽しそうと思ったら、人の目なんか気にせずやってみる!」と決めているし、人に対しては、「自分に自信を持って、人生に夢中になりワクワクできる人を増やす」と決めている。やりたいことを楽しんでいるから、目標をもってがんばれる自分がいる。

でもちょっと前までは、「目標」なんて言葉を聞くことすら嫌だった時期があった。なんだか目標という言葉にプレッシャーを感じていた。

何かを頑張っている自分でいたいのに、やりたいことがわからず、頑張れていない自分がめちゃくちゃ嫌だった。同年代のスポーツ選手とか有名人、テレビに出てるような人と自分を比べては、何も進めていない自分が嫌で、勝手に落ち込んでいた。

そんな風に悩んでいた時、こんなことを言われたことがある。

「目標も持たずになんとなくやってるようなやつは、山に籠って一人でやってればいい。」

目標を持てていない自分を否定されたような気がして、さらに自己嫌悪に陥っていった。自己嫌悪の無限のループにはまっていた。

そんな自分が、今は目標をもってやりたいことに全力で突き進めている。

どうやって自己嫌悪の無限ループを抜け出したのか?

数年前、仕事と失恋のストレスで体調を崩し、休職をしていた時期がある。その休職期間中は、ひたすらやりたいことだけやってた。

ビワイチ(琵琶湖を自転車で一周すること)、滋賀から鳥取・島根にドライブ旅行、公園で手作りサンドイッチ食べながらギターを弾いてチル、ボルダリングなど。自分の好きなこと、私でいうと自然に触れるとかドライブ、体を動かす、人と話す、というようなこと。思いつく限りのことをただただやっていた。

そうやって好きなことで自分を満たしていくうちに元気になったし、そこで気づいたことがある。

毎日を生きる理由なんか、このくらいでよくない?と。

例えば、ビワイチしてみたいとか
例えば、公園でギターを弾くとか
例えば、美味しいラーメンが食べたいとか

そんなんで、よくない?

こうやって、自分にとっての幸せの最小単位をいっぱい集めておくことによって、心が満たされていく。


私たちは、「人生の目的」とか「生きる理由」とか聞かれたら、すごく大きなことを考えがち。大きな志を持たないといけないと思いがち。

それを言い切れるってすばらしいことだ、でも

これは過去の私にも言えることだけど、みんな、色々と難しく考えすぎなんだろうな。意味もなく生きる理由を考えたりして、そしてわからなくなってきて、自己嫌悪に陥る、みたいな。

けど、「もう難しく考えるのやーめよ!私の生きる幸せは、美味しいラーメンをたべること、それでいいや」と当時の自分は吹っ切れた。

そして今の自分にとって、幸せのひとつにはサウナがある。

まずは目の前の楽しいことに飛びつく生き方をしていくうちに、今の自分にたどり着けた。楽しいと思えることをやっていくうちに、もっとこうゆうことをしたい!と新しいことに興味を持ち始めて、気づけば目標ができていた。

だから、いきなり「私の目標は何かな?」って考えて、出てきたらいいのだけど、出てこなかったとしたら、まずは自分がやってて楽しいと思えることをどんどんやっていけばいいんじゃないかな。

それがいつか、目標というものを生み出してくれると思う。



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