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生きる

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ー破壊そして再生へー
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#言葉

子育てにおける天使と悪魔

ミラレパ(1052年-1135年)は、チベットの仏教業者・聖者・宗教詩人で、一生のうちに仏陀の境地を成就した偉大なるヨーガ行者として、尊敬を集め、万物に愛されている最も有名な一人です。 以下は、そのミラレパが残した言葉。 男の子だけ責めるのは不公平というもの、さらにミラレパはこう語る。 この言葉は、生まれてきたわが子というものに過度な愛情をそそぐ事の愚かさを謳っている。 初めてこの言葉に触れたとき、何故か心をグッとつかまれた。 あまりにもその通りだったからだろう。

求めずともそこにある

皆さんは、この言葉を知っていますか? これは臨済宗の高僧である白隠禅師の言葉です。 これは、まさに今現代の私たちの事を言っているかのように私には感じます。 私たちは、自分の足下を見ずに、遠くに視点を移して、その遠くに何かがあることをいつも期待して生きている。 しっかりと自分の足下を見れば、そこには必要なものはある。 でも、それに気づく事はなかなか難しい。 私たちの求めるものは、何故か自分から遠く離れたところにあると、そう言った幻想を私たちはもっています。 なので

私たちは人生そのものが何たるかをこの口で語りながら、その人生が何たるかを知らない。

人生って、そんなに簡単な言葉では表現できない。私たちは一生懸命この人生ってやつを、綺麗な言葉を並び立てて、表現しようとするけれど、その私たちが様々なものを使って表そうとしているその人生とは、そもそも、私たちのもつ力では表現など出来ないものだったりするんじゃないだろうか? 自分の人生、それを自分の表現によってあらわす事が出来るなんてのは、人間の傲りだったっりするのかもしれない。自分の人生を、私たちは自分の持っている力で表現できるとそう思っているかも知れないが、実はこれが誤りだ

我を制し、人生を勝ち取れ。

生きるってそんなに難しい事じゃない。 本当はもっと簡単なんだよな。 お腹が空いたら食べる。 眠くなったら寝る。 甘えたくなったら甘える。 辛くなったら泣く。 たったそれだけの事がいかに難しい事か。 我が入ると、この自然が突然難しくなる。 我とは、私たちをややこしいものにする。 人生とは、この我との長い戦いだ。 この我を制する事が出来れば、私たちはこの人生に完全に勝利する事が出来るのかも知れない。 我とは、大人になるにつれて強くなる。 だからこそ、子供に

過ぎたるは及ばざるが如し

自分の中に恐れの感情を持っている事はとても大切な事。 でも、この恐れの感情を強く持ちすぎていると、私たちは悪に転じてしまう。逆にこの恐れの感情を持たなすぎても、私たちは悪に転じてしまう。 ありすぎることは、悪であって、又、なさすぎるのも又悪になる。 人間として機能するには、この両端をバランスよく自分の中で維持しないといけない。 義務感。これも持ちすぎていては自分が破綻してしまう。逆に持たなすぎても、自分が維持できない。これも又人間が悪に転じてしまう一端となる。 罪悪

書くという行為の先にある偉大なる力

書いて書いて書きまくる。そうすると、自分ってものが段々と消えていき書くという行為をしている私という主体が消えていく。 するとある瞬間から、その自分で書いていたはずの言葉がどんどんと自分から離れていきそして、自分で書いているはずの言葉や文章が自分のものではなくなっていく。今まで自分が主体だったのに、いつの間にか客体になって、言葉自身が勝手に語る事を自分が聞いている、受け取っているという奇妙な関係性が出来上がる。 文を書く事で私が消えていくという事はつまり、その中にある力の位

書いて書いて書きまくる。そうする事で見えてくるものがある

書いて書いて書きまくる。それでしか、私は私を証明する事が出来ない。 皆に笑われようが、私はひたすら書く。私にとっては書く事こそが生きているという事だから。 書いて書いてとことんまで文章を書きまくる。そうすると、今あるこの自分がいかにたくさんのものを着こんでいたかに気付く。 私は気が狂うほどに文章を書いて書いて書きまくる。そうやって自分の体を覆った余計なものを剥がしていく。 私は言葉の中でより洗練されたものになる。言葉はもはや色々なものを身につけすぎて自分の事がわからな

鈍化した言葉では自分を破れない

言語というものは、絶えず振動している。 細かくて微細なバイブレーションを持つものから、大きくて巨大なバイブレーションを持つものまでたくさんある。 細かい粒がものすごい速さで振動しているものから、大きな粒がゆっくりとしたスピードで振動しているものまで、それは多岐にわたる。 今私たちの使っている言語(言葉)というものは、エネルギー状態がとても低くて、その振動率もとても低い。イメージ的に言えば、重い球がものすごいゆっくりと動いているようなイメージ。 とても鈍くて、伝わりにく

言語を使ったバトルロイヤル

知識が豊富な人間というのは、早口で話し、相手に入る隙を与えない。 自分の話で相手を圧倒してその相手を知識を持って黙らせる。 智慧のある人間というのは、ゆっくりと、穏やかに話し、相手が会話に入る隙を与える。そして相手をリラックスさせ、その口を開かせる。 前者は自分の持っている世界に参加させない。絶対に自分の持っているテリトリーに他者を入れようとしない。それに比べると、後者は全くの逆。 後者は、自分の持っている世界の中に相手をどんどんと引きずり込んでいく。参加させ、いつの

保身の為に自身に引き込んだエネルギーは神に返さなくてはいけない

神とは人間に還元する事が出来る。人間とは色に還元する事が出来る。そしてその色とは、イメージに還元する事が出来る。そしてそのイメージは色々な言語に還元する事が出来る。 この言語は更に、高いレベルの言語から、低い言語まである。 最も低俗な言語の状態から、最も高度な言語レベルまで、その言語の意味を引き上げる。言語にまとわりついている偽りをはがし、その言語の本質を蘇らせる。その最も高度に引き上げられたその言語を、今度は逆に神に向かって還元していく。 つまり、最も高度化し、洗練さ

バケモンみたいに膨れ上がった自我の塊

バケモンみたいに着飾って、その醜い心隠したつもりか? バケモンみたいなその顔で、その腹ん中にあるものを隠し通せたと思うか? バケモンみたいに笑って、その心の中でメラメラと燃える火を消したつもりか? バケモンみたいに働いて、それで自分を生きたつもりか? バケモンみたいに騒いで、それでその心に溜まったものを全部吐き出したつもりか? バケモンみたいなその口で、何もかも自分の言いたい事を言ったつもりか? バケモンみたいに自分を主張して、それで自分が受け入れらたと思うか?

(何か)になりたい私たち

何かになったら終わり。何かになってしまったら、この人生ゲームはアウト。私たちは、この世界で何かになろうと必死にもがいているが、何かになった時点で、私たちは自分の本質を見失う。 何かになるという事は、何かの形になり、そして凝固するという事に等しい。 何かになりその形に固まった時点で、その人の人生は終わる。 考えるべきは、いかにこの世界で、自分の事を固めずに生きられるか?という事に尽きる。 大切なのは何かになる事ではなく、自分が何であるのかを知るという事。