価値という曖昧な世界観【国家の逆襲】本紹介.3


この記事で紹介する本

  • タイトル:国家の逆襲「新たなる重商主義」がイノベーションを創造する

  • 初版発行:2023年8月15日

  • 著者(監修者):マリアナ・マッツカート

  • 発行所:経営科学出版


【国家の逆襲】の概略

この本は経済における価値の定義の歴史を俯瞰し、
価値の創造と抜き取りについて改めて考え直したものである。

ちなみに、ここで言われている価値の創造と抜き取りとは、

私が「価値の創造」と言うとき、それはさまざまな種類の資源(人的資源、物的資源、無形資源)を確保し、それを利用して財・サービスを新たに作り出すことを示している。そして「価値の抜き取り」とは、今ある資源や生産物を移動させ、売買によって大きな利益を得ることを目的とする行動のことである。

国家の逆襲

と、されています。

そのうえで、前提として経済における価値とは極めて曖昧なものであり、
その時代や環境の権力や思想傾向等に大きく左右されるとある。

例として国家の逆襲では経済の規模を表すGDPをまず議論の中心とし、
大きく金融、イノベーション、公共と民営化の分野について論じています。

特に大きな転換となったのは1970年ごろGDPに金融が含まれるようになる、
それ以前の金融は価値を創造するうえでのコストだと考えられていたが、
金融もまた価値を創造するものであると価値論が転換した。

その転換は金融業界のロビー活動等で意図的に引き起こされたものである、
つまり客観的な価値基準でなくその時々の社会的パワーバランスによって、
価値の定義は誰かの都合が良いように変わり得るものであるということ。

それ以降、金融分野はGDPの多くを占めるようになり成長を続けたが、
金融の価値は認めつつも果たしてどれだけ価値の創造に寄与しているか、
客観的なデータ等を用いてそのあり方に疑問を呈している。

次にイノベーションについても言及しています。

現代の価値観においてイノベーションを起こすイノベーターは、
大きな創造力を発揮しリスクを取り社会に変革をもたらす。

故に、それだけ大きなリターンを得ることが当然だとされてますが、
そもそも根底にある創造力やリスクの大きさに疑問を呈している。

終盤では公共インフラの民営化に言及し社会基盤を支えるもの、
介護や水道等が民間で運営されるようになった結果、
サービスの質がどのように変化していったかを見ていく。

国民が生活するうえで絶対に欠かせないサービス等が一部企業に独占され、
サービスが劣化しても利用せざるを得ない故に企業の売買で利益を上げ、
価値を創造するのではなく抜き取るだけの事例を多くあげています。

以上のような価値論の転換やそこからうまれる価値の抜き取り、
そららの根本原因となっている1つの大きな要素として、
著者のマッツカートさんは国家というものの過小評価。

現代に根強い小さな政府路線からもわかるように国とは、
民間の動きを阻害するものでしかないという考え方があり、
しかし実際には国が果たす役割は大きい。

先のイノベーションにしても国が主導したり補助金を出したりして、
新たな技術等が生まれそれを元にしてイノベーターが使い道を考える。

故に、むしろ金銭的なリスクを背負っているのは国の方ですが、
現代では成功すれば全てがイノベーターの手柄となる。

逆に失敗すれば政府、国が悪いという方向に議論が進んでしまう、
国の役割が軽んじられていることで民間が好き放題やってしまい、
価値の大きな抜き取りを許してしまうということが起きます。

まずはそういう価値観を転換し新しくより良い定義を生み出すことで、
価値の抜き取りを減らし創造をより増やしていこうとする。

その議論のきっかけとなればという思いで国家の逆襲は生まれた。

当たり前とされていた経済や価値の定義の曖昧さ等を理解する、
大きなきっかけとなる良書でした。

【国家の逆襲】から学んだこと


国家の逆襲を読んで改めて学んだことは価値の曖昧な世界観と、
その元で行われる活動の1つである経済というものが、
どれだけ恣意的に行われるものであるかということ。

そもそも経済の規模、好調さ等を計るものとされるGDPという指標が、
特定の勢力に都合が良いよう変化もあり得るのを知るのは大事でしょう。

国家の逆襲でも言葉は出ませんがGDP三面等価の原則に触れている、
GDPは生産と支出と所得がイコールであるというもの。

これはつまり、GDPとはある社会内での貨幣量の動きを表しているだけで、
GDPの大小で経済が好調であるとか判断することはできないことがわかる。

例えば税金や経費は無視するものとして考えた時、
僕があなたの売っている商品等に千円払ったとしたら、
僕が千円支出してあなたが千円分生産しそれが所得になった。

千円というお金(所得)が僕とあなたの間を移動しただけのこと、
千というGDPが生まれたというだけのことであって、
それだけで経済が価値を生産したかはわからない。

大事なのはGDP内に含まれる価値とされる要素と、
GDP内に占める要素の割合でしょう。

で、概略の方でお話しましたが現代のGDPは1970年代以降、
金融分野がそれ以前とは違い価値の生産要素として計測されている。

つまり、価値の生産に対するお金の移動ではなくても、
お金がただ移動するだけでそれは価値の生産だとなるように、
価値の定義が変わっているということです。

例えば株は別の人が損した分誰かが得するというお金の移動に過ぎない。

言うなれば企業が生み出す価値の変化を予測するギャンブルに過ぎない、
そこに価値の創造によるお金の移動はない。

なお、価値の創造の定義は概略で引用した通りです。

で、そのギャンブルをうまく行うことに対し手数料等を取る企業などがあり、
それが価値を生産したことになりGDPに含まれる。

そうなればGDPが大きくなり経済は好調で価値を生み出したことになる、
だけど果たしてそれは価値を生み出したことになるのか?

何か社会をより良くする財やサービスを生み出したわけじゃない、
ただお金の移動するところに手数料を設定しているだけに過ぎない。

もちろん、誰かの手元により多くのお金を届けるという点で、
価値を生み出していると言える側面もあるでしょう。

しかし、先に話したように株は誰かの損が誰かの得になる、
ただお金が生産とは関係なしに動いているだけであり、
社会全体として見れば価値が生まれたとは言い難い。

にも関わらず、何の疑問もなく価値の創造だと定義できるか?

それは価値の抜き取りではないのか?
価値の生産だと断言できるのか?

現代の価値基準では断言できることになっている、
そういう計測の仕方になっているのですね。

そして、そこに議論が波及しないようにロビー活動等を用いて、
都合が良い価値観を定着させようとする勢力もいて、
それが許されているという現状がある。

そういう恣意的な権力構造に大いに影響されるのが、
経済という営みであるということです。

これを理解すると経済というある種のゲームにおいては、
根本的なルールをひっくり返せる側の存在と、
ルールに振り回される側の存在がいることもわかる。

極論言えばある側に都合が良い価値観や定義を社会に広げれば、
そのように都合よく動くものが経済なのです。

価値、何を価値と定めるかという個々の人間独自の視点は必ずあり、
それは少なからず全体に影響を与えることは避けられない。

ですから本来なら国、政府というより大きな枠組みが、
全体を俯瞰してより良いバランスを模索する必要があった。

特に民主制国家においては国民1人1人が国の主権者であって、
政府の中枢を担うのは国民の代表という前提があるのですから、
完全には不可能でも経済全体の舵を不公平にならないよう取る義務がある。

しかし、ロビー活動や献金などの制度からも見て取れるように、
そんなものはもはや建前以外の何物でも無くなっている。

加えてそういう恣意的な活動によって現代では小さな政府路線、
政府は民間の邪魔しかしないのだから影響力を発揮してはいけない、
民間に自然に任せれば全てうまくいくという価値観を刷り込まれた。

だけど、繰り返しになりますが経済自体が価値基準というルールに依る、
そもそも自然に回るようなものではないのですね。

GDP然り政府の影響力の軽視然り全てはその時代や環境において、
良いとされたものが定義されることで動く人為的な営みである。

故に、経済がうまく回りその恩恵を受けたいと思うのであれば、
現代の経済がどのような価値基準で動くかをきちんと理解し、
時に声を上げていかないといけないのだと思います。

少なくとも理解しておかないと柔軟に対応できない、
経済の変化に振り回されることになるでしょう。

同じように思ってもらえたのであれば意識してみてほしい、
その理解の第一歩として国家の逆襲は良い本だと思うので、
興味が湧けば読んでみてもらえればと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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