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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#102

ライナーノート 100回記念 なぜ井上馨?

 さて、井上馨の大蔵省エピソードもそろそろ大詰め。そもそもなぜ、井上馨を調べることにハマったか。
 高校では日本史を選択し、明治時代まではたどり着けていたので、大久保利通にはそれなりの知識もあった。そこで本を読むと政策として殖産興業が出てくる。勧農分野では内藤新宿の農場が代表例と挙げられることが多いのだが、内務省設立前にできているとある。
 もう一つあまり意味のわからない言葉で「太政官制潤飾」というのがあって、明治留守政府が正院の改革としてやったぐらいの認識だった。そこに大河ドラマの青天を衝けでの配役からの明治初年、大蔵省、井上馨がつながって、こういうことかとあやふやな疑問が興味の対象となった。

 そこでとりあえずわかりやすい小説から始めた。そうはいっても、井上馨からではなかなか引っかからない。高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、渋沢栄一から始めて読んでみた。司馬遼太郎作品では、「世に棲む日日」「花神」はまだ良かったけれど、「幕末」はだめだと思った。明治政府で「金」と「権力」の両方を握った井上馨はここで圧倒的に嫌われているし、やったことの理解がないと気がついた。これが司馬史観というものだ。
 ただ、これだけ検索をかけて、色々読んでいるとヒントをくれるものがあった。Amazonのおすすめで「井上馨と明治国家建設」という論文が紹介されるようになった。もう一つ西郷隆盛から坂野潤治先生の著作に出会うことができた。国会図書館デジタルで「世外井上侯伝」が読めることも重要だった。そうやって糸口がつかめると、あとは参考文献から次々と広げていくことができる。地雷もわざと踏みながら、読み続けた成果が「奔波の先には何が…」に書いたリストになっていく。
 インプットをするとアウトプットをしたくなるもの。しかも、色々動き回るイメージは出来上がってくる。これなら書けそうと思い立ったのがこの「奔波の先に」ということに。

 それにしても、井上馨の伝記「井上伯伝」や「世外井上侯伝」も幕末志士時代はそれだけで面白くて、これを現代語訳で十分ではと思えてしまう。高杉晋作の親友の一人なのだが、お互いに手紙を保管していないので木戸の手元に残った1通しか晋作からの個人宛の手紙はないらしい。木戸・馨書簡はかなりおかしいので、晋作・聞多書簡が残っていればきっと面白いはず。
 出来事の行間を埋めるのに、この書簡はかなり利用している。ということで、〇〇関係文書というものを集めることになった。しかし、「井上馨文書」や「井上馨関係文書」は公刊されていない。原文は読めない。そうなると伊藤博文、木戸孝允、大隈重信からあたり、雑誌、論文と「世外井上侯伝」の引用資料が大事になってくる。手元の本も大変なことになってしまった。しかも整理する以上に増える。最低限欲しい伊藤博文・井上馨が一冊で収まっているのはありがたかった。
 手紙といえば、廃藩置県後大阪にいる伊藤博文から自分の献策は何だったんだという怒りの手紙が送られている。自分の作品中では馨が博文の怒り様に大隈に助けてと言っているところだ。
 この手紙の本当のポイントは、伊藤博文が大蔵省の官制を見て統計寮を作ったのに監査寮がないのはどういうことだ、と怒ったところにあると言われている。
 大蔵省の仕事は金の出し入れにあると考えた博文はそれを取り締まる監査を、施策には数字の裏付けが必要と考える馨・渋沢ラインは統計を重要視したというのだ。その一つが予算の定額ということになる。この定額を立て、予算を決定するやり方は現代まで続いている。
 そうなってくると、統計を役立てようなんて無理だと言った伊藤博文より井上馨が劣っていると書かれがちな評価も見直したくなってくる。ということで、最新の研究まで興味を持つことになってしまった。町田明広先生のツイッターはそういう意味でもすごく貴重。
 新しい評価といえば、ここまで出てこない尾去沢事件。もちろんこの後問題になってくる。いつどういう形で表面化したのかも考える予定。ある意味江藤新平の残した時限爆弾みたいなものかもしれない。
 それにしても書くことが尽きない人だ。井上馨の人生もまだ半ばまで行っていない位か。これからもぼちぼちと続けよう。

井上馨と江藤新平

 江藤新平は、大河ドラマ翔ぶが如くで当時結構好きだった俳優さんが、演じていて興味を持ったことがあった。今回色々読み直してみて、従来のイメーからやはり変わったところがあった。大久保利通が江藤新平の政策能力をみて、潰す必要があったというのはどうだろう。そもそも、大久保は江藤の献策を受けている。この辺のイメージも司馬史観が影響しているとか。
 それよりも、遣欧使節団と留守政府の約定書や太政官制潤飾が江藤新平のものとされてきたようだったが、井上馨説のほうが今は有力なのも引っかかるところでもある。この作品では当然井上馨説をとった。
 司法に対しても単純に確立することを考えていたわけではないし、立法や警察・治安も含めていたからこそ、地方行政を巡って大蔵省と対立することになる。それどころか、巨大官庁大蔵省を潰すことが目的になっている。井上馨が辞職し大蔵省の勢力が弱まり、それに参議になって別に関心を持つようになると、司法省の予算の削減を認めているらしい。
 ここでも最新の本、大庭裕介先生の「江藤新平」が気づきをくれたと思う。帯にある「国学と神道にもとづく国を作る!」こういう視点は今までなかった。それで思わず、「経済」という言葉を巡って漢学で井上馨に忠告したエピソードで、英語の「ポリチカルエコノミー(ポリティカル・エコノミー)」だと反論させてしまった。ここで江藤が蟹に興味はないといった「蟹」は横文字のことを指している。漢学の江藤vs英学の井上馨という図式。

 江藤新平は井上馨をどう思っていたのかよくわからない。井上馨のほうは、司法卿に推挙したときまでよく知らなかったのは知られている。お人好しの一面があり、頼まれるとよほどのことでない限り、受けてしまうのが井上馨だったりする。
 ただ、江藤新平の献策を潰しているのも、井上馨だったりする。わかりやすいのは太政官改革での官制案。大久保利通を通した、大蔵省・民部省をもっと分けたこの案を、木戸孝允経由で見た井上馨は省庁多すぎと反対している。結局木戸の意見に近いかたちで決定した。それをまた民部大蔵合併で変えているのだから、江藤的には目の敵になるのか。そうすると廃藩置県の頃から鍔迫り合いをしていることになる。
 貧しい生まれ育ちの江藤といわゆる育ちのいい(貧しかったと言われるが、100石の大組士であり1町の田と45段の畑をもつ井上家が貧しいとは思えない。倫理観や父親の厳格な考えから、あえてそういう暮らしをしていたと思うほうが普通)井上馨の共通するキーワードを見つけた。それは「ひねくれ者」だ。


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