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人見知りの概念

「人見知りの私でも」と言う電車の某接客業の広告を見て。人見知りの人間が接客業やろうと思わないだろう、と思った矢先に気になった。「人見知り」って何なんだ。

そもそも「人見知り」と一口に言うが、どういう意味合いがあるのか。恐らくイメージとしては「あまり他人とコミュニケーションをうまく取れない」とか「初対面の人に物怖じする」とか、とにかく「内気」な印象というものを「人見知り」という言葉に感じるのではないかと思う。実際、私もそう思っている。

しかし「人見知り」の意味は以下の通りが正だ。

知らない人を見てはにかんだり、きらったりすること。

………「きらったり」?知らない人を見て嫌うのが「人見知り」?え?

「はにかんだり」と言うのはまさに前述の通りの「初対面の人に物怖じする」と言うのが該当するので納得がいくのだが、「きらったり」と言うのはどういうことなのか。

実際のところ、人見知りの意味である「知らない人を見てはにかんだり、きらったりする」と言うのは子供の場合に当てはまるのだそうだ。大人の場合は「内気」・「照れ屋」・「はにかみ屋」・「恥ずかしがり屋」という言葉が当てはまり、そもそも「人見知り」という定義自体が当てはまらないらしい。

確かに子供で考えれば、知らない人を見て照れた風に逃げる姿は良く見られる。それが人見知りの意味で言う「きらったり」に該当するとのことだ。

冒頭に戻ろう。「人見知りの私も」と始まる某接客の広告。これは上記の定義に当てはめると「(昔は)人見知りの(子供だった)私も(今は)」という意味合いになるのではないだろうか。つまりこの「私」は今は人見知りではないタダの大人という事になるのである。…なんか急に世知辛くなってきたぞ。世の自称人見知りの大人たち、頑張れ。

ここで「じゃぁ私はコミュ障か」という声も上がりそうだが、コミュ障もとい「コミュニケーション障害」というは立派な病気なのである。聴覚器官や発声器官の不十分などといった身体障害、または精神障害・発達障害などといった心の部門に属する問題が該当するという。心因性かつ先天性のものは、多くの場合「自閉症スペクトラム」に含まれるとされている。難しい言葉が出てきましたね。めちゃめちゃ簡単に言うと「反復的・儀式的な行動、姿勢、発声をする」と言う常同行動と、コミュニケーションや言語に関する症状を有しているものを「自閉症スペクトラム」と言うそうだ。「スペクトラム」って「連続体」って意味ね。いくつかの自閉症関係の症状を持っているのが、「自閉症スペクトラム」。

こうやって考えると「自分はそこまでだろうか?」と首を傾げる人も出てくるのではないだろうか。極端な話、コミュニケーション障害と言うのは「コミュニケーションが下手くそ」という意味ではなく、「コミュニケーションを取るにあたり弊害がある」というのが正しい意味なのである。

このnoteを読んで「じゃぁ自分は何になるんだろう」と悩む人もいるだろうか。初対面が相手だと臆してしまう。あまりはっきり意見が言えない。目立つことは好きではない。知らない人と関わり合いになりたくない。そう言う人達は纏めて「内気」で良いんじゃないだろうか。私は「内気」が悪いことだと思わない。

相手がどういう人なのか理解に必死になる。誰よりも気付くのが早い。裏方に徹する。仲間意識が強い。ほら、裏を返せば、しっかりしたひとりの人間ではないか。あの広告の彼女の様に、「何かを克服しなければいけない」というものではないと思う。内気だって、立派な個性さ。

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