言葉の重さはいつだって平等だ

ひとりの人間が持つ言葉の重さは、皆平等だと思っている。だからこそ、「自分の言葉に責任を持つ」と言う言葉があるんじゃ無いだろうか。重さがあるから、手を離してしまうとゴロゴロとひとりでに転がり出して転がった先にいた誰かを傷付けかねない。俗に言う「無責任な言葉」って、こうやって手を離した言葉なんじゃ無いかなぁ。

きっと「そんなこと言ったって私の言葉はそんなに影響力なんか無いし…」とお思いの方もいるだろう。事実、私もそっち側。1年半近くnote続けてきているけど今のところ影響力らしい影響力を持っていると感じた事は一度としてない。でも私の言葉に「そうだよね」「そうは思わない」「これはどう?」と投げかけてくれる人もいた。極僅かでも、私の言葉の重さを理解して受け取ってくれると言うこと。それが「影響力」なんじゃ無いだろうか。ひとえに、人は互いに影響されて生きているのである…なんてね。

ネットでバズる人たちはどっちかって言うと「声が大きい人」なんじゃないだろうか。カッコよく「インフルエンサー」なんて言われてはいるけど、「声が大きく響きやすかった」と言う結果、「インフルエンサー」なんて肩書きがついた様に見えている。…その肩書に憧れてるとかは一切ないよ。だから言ってるでしょ、重さは一緒なんだって。

じゃぁ何が違うのかって言ったら、前述の通り「大きさ」が違う。ゴロゴロと転がっていってしまった時にぶつかる人数が違う。手を離さなくてもぶつかってしまう人がいる。一緒に持ちたいと思う人が現れたりする。大きければ大きいほど、そう言う人達が増えていく。あとは…大きいのがわかっててあちこちに転がしまくる人もいる。こう言うのは炎上商法とか言うよね。

何かの拍子に、自分の言葉の「大きさ」が急にドーンと大きくなってしまうかもしれない。その時に手を離したりしないように、いつだって心構えをしておいた方がいい。何がきっかけか、なんてわからないし、もしかしたら全く意図してない理由で大きくなってしまうかもしれない。言葉は、重いものだから。常日頃から持っているのが辛くならないように、しっかり鍛えておかないとね。誤解を招かない言葉遣い。

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