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大林宣彦監督が亡くなることによりある時代がぼくの中で終わった。


「さよならドラキュラ」 「さよなら青春」

これは1968年に新宿アンダーグランド蠍座で初めて観た大林宣彦監督作品『EMOTION 伝説の午後いつか見たドラキュラ』(1966年)のエンディングに流れる言葉だ。

「サヨナラ、オレ」「サヨナラ、あたし!」

こちらは『EMOTION 伝説の午後いつか見たドラキュラ』公開から15年後1982年に公開された大林監督の『転校生』のエンディングに流れる言葉だ。

大林監督の映画は常にさよなら青春とエールを送る。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第80回】

1968年に出会ってから52年間にぼくは大林監督の43作品のほとんどを観てきた。

黒澤明監督とともに大好きな日本人監督だ。

大林監督のことをブログ「万歩計日和」ではこんなふうに書いている。

"a film by"という気障なクレジットで始まり、"さよならドラキュラ、さよなら青春"で終わるその奇妙な前衛アングラ映画『EMOTION 伝説の午後いつか見たドラキュラ』を見終わって、ぼくは涙した。こんなに映画を愛し、映像にとりつかれている監督が日本にいたなんて。

その時すでに大林さんはテレビ・コマーシャルの世界では新進気鋭の演出家として脚光を浴びていた。

「カルピス」「レナウン・イエイエ」「トヨペット・クラウン」、そして外タレのCF出演第一号、チャールス・ブロンソンの「マンダム」。次から次へと斬新な映像をブラウン管から放ち、大林さんはぼくらの目をくぎ付けにしていた。

日本のコマーシャル・フィルムのセンスを1人で持ち上げていたのが大林さんだ。

でも、大林監督が劇場映画でデビューするまでには、それから10年近く待たなければならなかった。

その作品が1977年に制作された大林監督劇場映画第一作「HOUSE ハウス」だ。

10年間待たされたぼくは公開初日に映画館に駆けつけたものの、併映作が山口百恵・三浦友和作品で
立ち見が出る大盛況だった為に、次の日朝一番の回で見るべく再び出かけた。

随所にオプチカル処理されたマンガのような「HOUSE」は大林監督ならではの映像マジックでいっぱいで、ぼくは思わず、やった〜と心の中で叫んだものだ。

しかしながら、この映画は多くの映画批評家連中から散々にたたかれた。曰く、コマーシャルフィルムの連続だね。ったく、これだから評論家っちゅう奴は嫌えだよ。他にどんな監督が、あれほど奇妙で楽しい映像をつくれるってえの?

それから5年後、大林さんは圧倒的な評価を受けることになる作品を公開した。

その作品では、大林さんお得意の映像ギミックが裏技として使われていたために、表面的には青春文芸映画として評判を呼んだ「転校生」だ。この映画でも最後のクレジットは"さよなら青春"。これが大林映画の底辺に流れる切なさの原点なんだ、さよなら青春。


『転校生』はスティーブン・スピルバーグ監督の『激突』やブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』と並んで原作を超えることの出来た数少ない映画だ。

4年前に大林監督のデジタル・ムービー『野のなななのか』を観てビックリした時のことを同じく万歩計日和より。

一週間ほど前に観た『この空の花 -長岡花火物語』(2012年劇場公開)でも感じたことが『野のなななのか』を観ることにより増々濃厚に感じられた。

大林監督は原点帰りしている。

50年前に8mmや16mmでアングラ(インディーズ)作品を撮り続けた時と全く同じ気分で今デジタル・ムービーに挑戦している。

大林監督はセミドキュメンタリー映画『この空の花 -長岡花火物語』で初めてデジタル・ムービーに挑戦し『野のなななのか』も同じように全編デジタル撮影している。

全国様々な古里の人たちと共同で映画を創り続ける大林監督の前作の舞台は新潟県長岡市で今回は北海道芦別市。

最初から最後まで音楽が途切れることなく流れる『野のなななのか』を観ながらぼくは50年前に衝撃を受けた『EMOTION 伝説の午後いつか見たドラキュラ』をダブらせていた。

このままじゃ日本はまずいよね、みんなで何とか立て直さなくては・・・と大林監督は画面から語りかけてくる。

個性的で斬新で分かりにくい映画かもしれないけれど生涯インディーズを貫き通す大林宣彦監督の切なくも美しい『野のなななのか』はぼくのオススメ映画の一本に加わった。

映画監督と言うよりも生涯インディペンデントの個人映像作家という言い方が似合う大林監督はまるで若い頃に8ミリで斬新な映像を創り上げたと同じようにデジタル・カメラを自分の道具として見事に使いこなしている。

大林監督作品私的ベスト5はこちらです。

・『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967年3月8日公開)   16ミリ自主映画

・『HOUSE ハウス』(1977年7月30日公開 東宝)

・『転校生』(1982年4月17日公開 松竹)

・『異人たちとの夏』(1988年9月15日 松竹)

・『理由』(2004年12月18日公開 アスミック・エース)

・『野のなななのか』(2014年5月17日公開)

コロナ騒ぎがなかったら公開されていた『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の初日(4月10日)に大林宣彦監督はこの世を去った。

大林監督がこの世を去ったことによりぼくの1960年代は幕を閉じた。

ご冥福をお祈りいたします。


「さよなら大林宣彦」「さよならシックスティーズ」


がんと闘う映画監督大林宣彦の「遺言」(前編)

がんと闘う映画監督大林宣彦の「遺言」(後編)


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2002年に書き始めたブログ「万歩計日和」です。



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