世界を調律する前に自分の調律が必要なんじゃないだろうか?
意味より響き、響き合うことが大事なんだということを昨日書きました。
響きの話を始めると長くなるかな。
長い間音楽を聞いているうちに音楽そのものよりも音の響きや音楽の何が人を癒やすことが出来るのだろうという医療の話に興味を持つようになった。
「世界を調律する前に自分の調律を」というのが30年ほど前からのメインテーマだ。
きっかけとなったのはカナダの作曲家マリー・シェーファーの本。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第42回】
シェーファーは産業革命以後の地球にはノイズが増え過ぎた。
町の鐘の音も高い建物にさえぎられて聞こえなくなり音風景が壊されてしまった。
地球はもう一回調律しなおさないといけないと警告した。
音風景=サウンドスケープ。
絶滅したのは動植物だけに限らない。
世の中から失われてしまった音がたくさんある。
この本はまさに目からうろこだった。
世界を調律することは自分には出来ないけれど自分自身を調律すればそれは世界の調律につながると考えた。
自分を楽器に例えてみよう。
調律が狂っていてはきれいなメロディーを奏でることができない。
他人と合奏したところで不協和音になってしまう。
個人個人がしっかりと調律されていれば美しい響きやハーモニーが生まれる。
世界が美しいハーモニーで響き合うためには個人の調律から。
ということなんだ。
ちょうど禁煙を始めたころだったのでそれが調律の第一歩につながった。
調律というのはフラットに戻すということ。
そしてそれがヒーリング(癒やし)の本来の意味だ。
その頃友人の編集者から自然食関係の仕事をすることになったので試しに使ってくださいとオーガニックの味噌、醤油、塩が送られてきた。
その美味しさにビックリした。
以前から化学調味料は拒否していたけれどオーガニックな食材までは踏み込んでいなかった。せっかく美味しい調味料を頂いたのだから前から気になっていた玄米を始めることにした。
玄米、有機農法・無化学肥料の食材と調味料の食生活が始まった。
オーガニック野菜は本来の濃厚な味わいがあるので調味料は最小限ですむ。
玄米も同じだ。
農薬と化学肥料を使った野菜の味が水っぽくて味がしないように白米も味がしない。
栄養分が含まれている胚芽を削ってしまうのだから当然だ。
そのために調味料をいろいろ使うので濃い味付になる。
行き着く先は減塩食生活。
真っ当な食材を食べていれば何にも問題はないのに。
調律は食生活だけに限らない。
音楽を大音量でイヤホンで聴き、パソコン、ゲーム、スマホなどで目を酷使し、化学繊維の服を着て、コンクリートの家に住んで、農薬や添加物だらけ食生活。
ぼくらの五感は痛めつけられているので調律が狂うのが当たり前だ。
世界を調律する前に自分を調律しなおすということを真剣に考え実践し始めたのは35年ほど前のことだ。
玄米を中心としたマクロビオティックの話から始まり倍音の癒やし効果とか究極の自然療法と言える尿療法の話にその後発展して今にいたっているけれど長くなるのでその話はまたそのうち。
音楽との出会いの話から紐解こう。
「三つ子の魂百までも」ということわざが話の発端になる。
故事ことわざ辞典によると「幼い頃の性格は年をとっても変わらない」ということだ。
人は簡単に「その性格を変えなければ駄目だよ」と言うけれどその前にこのことわざを噛み締めていただきたい。
三才というキーワードと対になって語られるのが「前世の記憶は三才までに忘れてしまう」
こちらの方がスリリングで面白いけれど長くなるので今は「三つ子の魂百までも」の話を。
この続きはまた明日。
いったい三歳の時にどんなことがあったかのお話です。
明日もお寄り頂ければ嬉しいです。
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