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恐れているものが分かるとスッキリする

先ほど「無力くる自己肯定感の低さ」というnote記事を書いたばかりだが、30分ほど経った今、とてもとてもスッキリしている自分に驚いている!
この感動を残しておきたい。

ああ!入力が追いつかない!感情が溢れ出すスピードに手が追いつかない。



私は小さいころから好奇心が強く、何でも知りたがる子供だった。
正確に言えば、自分で「好奇心が強い」と思ったことはなく、親や周りがそう言うからそうなんだろう程度の認識だ。

納得できるまで質問するためにしつこく、面倒くさいと親には思われていたようだ。
「また屁理屈言って」と何度も言われた。

私は屁理屈など言ってない!
ただ疑問に感じることを聞いているだけなのに!
より正確に理解しようとしているだけなのに!

と思っていた。



大人になった今も変わらず「好奇心が強い」自覚はない。
周りがそう言うからそうなんだろうの認識も子供の時と変わらない。
変わったのは「好奇心が強い」ことから起こるデメリットも結構大きいんだぞ!というネガティブ面を自覚していることだ。

興味があることには、仕事でも仕事でなくても集中力、スピード感、行動力が凄まじい。
だが興味を失った瞬間、集中力もスピード感も行動力も落ちる。
一般的に「飽きる」と表現されるが、自分の意識としてはそうかもしれないがそれだけじゃない。そんな感じだ。



なぜ「好奇心が強い」のか、特に考えたことがなかったのだが、先ほどnote記事を書いたことで1つ分かった。

私は「無知」からくる何か、
何かとは災難、失敗、ネガティブなことを避けたいのだ。
極力。


知っていれば避けられるであろうことに当たりたくない。
そのための準備、予防を日々しているようなものかもしれない。
知る努力、理解する努力を自分はすることができるのに、それをしないことは嫌だ。

話は飛ぶが、死ぬ時に痛いのも嫌だ。
絶対に嫌だ。
穏やかに死にたい。どこも痛くなく。それまでも痛くなく。
ピンピンコロリが理想である。



とりあえず一部を言葉にできただけで、このあとも「ああ!そういうことか!」という発見がくる気配を感じる。
無知からくる何かを避けたい。
今日はそれが分かっただけで大儲け。noteのおかげだ。ありがとう。

先ほど書いたnote記事はこれ。



自分が恐れているものが分かるとスッキリする。
自分が恐れているものには本来の自分に還るヒントがいっぱい。
自分に嘘をつかないで恐れを大事にしたい。


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