太宰治の犬嫌い
太宰治のイメージって色々あると思うんですけど、僕の中で結構強いのが「犬嫌い」なんですよね。
まず、太宰には自分がいかに犬嫌いかということを書いた「畜犬談」という小説があります
これは太宰が二度目の結婚した美知子夫人と甲府に家を構え、その後三鷹に引っ越していくまでの頃の話で、太宰が散歩をしていたところ犬に懐かれ、犬が怖いがために優しい口調で話しかけたり餌をやったりしているうちに飼い犬のようになってしまい、そのうちその犬が皮膚病になり家に蚤が持ち込まれたことでいよいよ毒殺を試みるという話です。オチを書かないようにあらすじを書くとめちゃくちゃく酷い話ですね。
そんな酷いあらすじにも関わらず、むしろ太宰が犬嫌いであることを真面目に語り、過剰に行動すればするほどおかしみが出て、大笑いとまではいかなくともクスクスと笑えるような作品になっています。なんだかんだでハートフルな話ですしね。個人的には太宰治の小説の中でかなり上位に入るほど好きな作品です。
この「畜犬談」は実際にあったエピソードを元に書かれたようで、美知子夫人が太宰の死後に発表した『回想の太宰治』でこの時のことを書いています。
「畜犬談」にも書かれている犬への軟弱外交ですが、犬に過剰に気を遣うというギャグかと思ったら実際にそうしていたんですね。やっぱり太宰って変わってるなと思いますし、その犬への気の遣い方がおかしいという客観的な目も持っていたということでもありますよね。自分を客観的に見ることができながらおかしな行動をとるということは矛盾しているようですが、作家にとっては天性の才能と言えるかもしれません。
太宰が犬を怖がったエピソードは他にもあります。太宰が自伝的小説「東京八景」の中で「三馬鹿と言われた。けれども此の三人は生涯の友人であった。」と書いている檀一雄、山岸外史もそれぞれ太宰の犬にまつわるエピソードを書いています。
まず檀一雄は太宰の死後に発表した『小説 太宰治』の中で、太宰が急性盲腸炎からの腹膜炎により入院後静養していた船橋時代の話の中に太宰が犬に翻弄されていたというエピソードを書いています。
「例の鞭」というのは太宰が当時愛用していた竹製のステッキのことです。檀によると船橋時代の太宰はパビナール依存症もあってほとんど食事らしい食事を摂っておらず、コップにビールと生卵を交互に入れて飲んでいたくらいだったそうなので、痩せ衰えていて犬をかわしたり逃げたりするのも何か痛ましい姿に見えたようです。
山岸外史はこれも太宰の死後に発表した『人間 太宰治』に収録しきれなかったエピソードをまとめた『太宰治おぼえがき』の中で、太宰と一緒に歩いていて犬と遭遇したエピソードを書いています。
生涯の友人と書いた山岸を盾にして犬をやり過ごそうという酷いエピソードですが、太宰のその真剣な怖がり方にはおかしみがあって、山岸を押し出そうとする太宰と爪先立ちで抵抗する山岸なんかは漫画の一コマのようですらありますね。この本には他にも、二人で住宅街を歩いていたら塀の下から小さな犬に吠え立てられ、その時も太宰は同じように山岸を塀側にして隠れた末に山岸を置いて走って逃げたというエピソードも書かれています。
犬嫌いエピソードはまだあります。太宰と交流のあった作家、小田嶽夫が『回想の文士たち』という本の中で、戦時中なかなか手に入らなかった酒を裏で飲ませてくれる家に通う中で、その家で飼われていた犬と太宰が遭遇したエピソードを書いています。
家の中で遭遇したら逃げるわけにもいかないですし、座っているので人を盾にもできませんからね。それにしても太宰は本当に犬が苦手なんですね。だんだん気の毒になってきました。
最後に、これは犬の話ではありませんが似たようなエピソードがあるので紹介します。太宰治の弟子だった堤重久が太宰との日々を書いた『太宰治との七年間』の中で、太宰と動物園を訪れた時のエピソードを書いています。
犬であれほど怖がる太宰の目の前にいきなりライオンが現れたらと思うと本当に気の毒ですが、笑ってしまいますね。これまでのエピソードがみんなそうですが、なんというか、太宰は自らに訪れた不幸を喜劇にしてしまう体質というか才能があったんだろうと思います。お笑いでいうリアクションがおもしろいというやつでしょうか。太宰がドッキリで犬と遭遇したところを別室でモニタリングしたらめちゃくちゃおもしろそうですもんね。
今回紹介した犬嫌いエピソードを知ってからまた太宰の「蓄犬談」を読むと、太宰の切迫した心境がわかってより楽しめるんじゃないかと思います。そして、太宰治というひとりの人間をより身近に感じることができるようになるかもしれませんね。
参考文献
青空文庫
津島美知子『回想の太宰治』講談社文芸文庫
檀一雄『小説 太宰治』岩波現代文庫
山岸外史『太宰治おぼえがき』審美社
堤重久『太宰治との七年間』筑摩書房
小田嶽夫『回想の文士たち』冬樹社
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?