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サンタクロースって本当にいるの?

「おらん、あれはお父さんや」
 母はあっけらかんと言ってのけた。滑りやすい冬の道を市内の中心部に向かって車を走らせる。颯爽とあるいは黙々と。そんなことより私は年末年始のあれやこれやで忙しくてたまりまへん。そう顔に書いてあった。窓の外、木々に積もった雪が風に煽られてするリと落ちた。兄がDSをしながら横耳にゲラゲラ笑っていた。小学4年生の12月、その年は例年よりも早く雪が降った。
 
 ねぇ、今年はサンタさんに何をお願いした?毎年11月の後半にもなるとそんな話題で教室は持ち切りだった。ストーブの灯油の匂いが鼻をかすめる頃、私たちは思い出したように話し出す。遊戯王のカードも欲しいし、新しいゲーム機も欲しい、あぁラジコンも欲しいな。語りだせば短い休み時間が溶けるように過ぎていった。そんなかわいらしい私たちのもとにまた別の友人がやってきて言う。彼はクラスの中でも頭がよく、2つ上の姉に教えてもらってか、私たちよりも少しだけ多くのことを知っていた。そんな友人が神妙な顔つきで言うのだ。
「去年のクリスマス、薄目開けたまま起きていたんだ。そしたら、夜12時くらい、すっと部屋のドアが開いて、枕元にプレゼントを置いていった」
それから、何度も躊躇うそぶりを見せながら、本当は言いたくてたまらないいくせに、私たちが急かすから仕方なしにといった雰囲気で勿体ぶりながらも言った。
 プレゼントを置いていったのはお父さんやった。
 え、まじで?
 
 私たちの反応を一通り楽しむと、彼はまた次の獲物を探して教室の喧騒の中にゆらゆらと消えて行った。その姿は英雄譚を語って聞かせる吟遊詩人か、あるいは子ウサギを狩る狩人か。ただ、間違いなく彼の姿は世界の命運を握る人物のそれであった。
 あいつは嘘つきだ、本当は見てないくせに。俺も去年寝ないようにしてたんだけど、いつの間にか寝ちゃったんだよね。いや、俺はもっと前から知ってたし。私たちは口々に言った。ストーブの近くにいたからだろうか、妙に顔が熱かった。
 
 サンタさんいないんだって、お父さんなんだって、友達が言ってたよ。家に帰ってから。私は家族にもその話をした。気分はまるで難事件を解決した名探偵である。えー、ほんとかなぁ。嘘ついてるんじゃない?最初は優しくはぐらかしていた家族も、私があまりに何度もいうものだから次第に鬱陶しくなってきたようで、はいはい、そうですか、ようござんしたねと気の抜けた返事を繰り返す。世界の一大事だというのに、何事か。
 
 それからしばらくした頃。待ち遠しく永遠に訪れないようにも思えたその日が、すぐそこに迫ってきたある日。私はまたサンタさんの正体を問い詰めていた。ねぇ、本当はいないんでしょ、サンタさんなんて。すると母はあっさりと認めたのである。そう、サンタさんはいないよ。面倒くさくなっていたのか、隠し通せないことを悟ったのか、分からないけれど、その時は突然に訪れた。やっぱりそうじゃん!ついに認めさせたことに達成感を得た。大人の仲間入りをしたことに誇らしさを感じていた。でもそれが終わってしまうことが、少しだけ寂しいような気もした。
 
 その年、本当にサンタさんは私の家を訪れなかった。その次の年も、そのまた次の年も。
 枕元にプレゼントを置く代わりに、クリスマスの時期になると両親と一緒に買いものに出かけるようになった。サンタさんの正体を暴くために薄目を開けて眠気と戦う必要はなくなった。お願いしていたゲームじゃなくて、頼んでもいない絵本が枕元にあって大泣きすることももうない。けれどあのワクワクももうないのか。私は大人になるほろ苦さを口の中でゆっくりと転がして味わった。

 思い出話を聞かせてくれた。絵本をプレゼントして、まさかあんなにも私が大泣きするとは思わなかったこと。サンタさんが来たことを装うために父が寒空の下で待機していたこと。何にも聞こえてないのに、両親二人して「あれ、今ベルの音がきこえなかった?」と芝居を打ったこと。PS2は本当に高かったと言って笑う顔は、でも柔らかくほころんでいた。
 
 確か一昨年のクリスマスイブだったと思う。その頃私の部署はとにかく忙しくて毎日のように終電近くまで残って仕事詰めの日々を送っていた。私の何倍も忙しいはずの上司もその日ばかりは早めに仕事を切り上げ帰り支度をしていた。今日はほら、サンタさんしなくちゃいけないからさ。もう小学5年生なのに、未だに本気で信じてるんだよ。呆れたように言って見せたけど、とても優しい顔をしていた。仕事はできるし、困っていると助けてくれる、でも節々に隠しきれないおじさんムーブを見せてくれる上司。このビルを一歩出れば、私の知らない時間が確かにあって、家族がいて、私の両親がそうであったように、あの優しい役割を背負っている。当たり前のことだけれど、それでもそのことが嬉しかった。アクリルの透明な板に阻まれて、何もかもが触れられない、作り物に見えていた日々に、微かな温度があるのだと思えた。
 
 あの日以来、サンタクロースは訪れていない。寒い体を起こして枕元を探ることも、世界の秘密を暴こうと息を殺して待つこともない。
 だけど私たちは誰かを思ってプレゼントを選ぶ喜びを知った。喜んだ顔がこんなにもうれしいことだと知った。すっかりと薄くなってしまった財布を見つめながら、でも温かなものがそこにある。
 
 今でもクリスマスの朝には、少しだけ枕元が気になって手を伸ばしてしまう。手の中に納まるものは昨日脱ぎ散らかした服や靴下ばかり。今年もこなかったなぁ、と諦めてゆっくりと体を起こす朝。少しだけ胸が多感っているのを感じる。きっと私の中のサンタクロースはいつになっても消えないと思う。

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