エッセイ│アイドルの顔が全部同じに見えること
初めて見たのは友達の家で大学の課題をしていた時。ページをめくっても、めくっても終わらないその膨大さに嫌気が差し、もう集中力も切れてきたし、明日の朝早く起きてやった方がいいんじゃないかと考え始めたころ(絶対に早く起きることはない)。時計の針は12時を迎えようとしているところであった。友人は早々に課題を終わらせながら、動きの遅い私に付き合ってくれていた。
セットされた目覚まし時計のように滑らかな動きであった。彼は非常に自然な流れでテレビをつけた。テレビには朗らかに笑うたくさんの女の子と、有名なお笑い芸人が映っていた。そう、日曜深夜12時から放送されているアイドル番組、乃木坂工事中である。
小学生高学年から中学生くらいの頃だっと思う。周りの子たちはAKB48や少女時代に夢中であった。休み時間になると、誰が好きだとか、どの曲が好きだとか、話は尽きないようであった。お前は誰が好きなのかと問われて口ごもる。居心地の悪さを感じながら、知っている名前、前田敦子と答える。お前は何も分かっていないとなぜか憐れむような目を向けてくる友人。まったく何なのか。
人の顔を覚えるのがとにかく苦手だった。AKBにしろ少女時代にしろ、グループのメンバーは全員同じ顔に見えた。好きなメンバーは前田敦子と答えたが、正直顔もろくに思い出せていなかった。ただおいて行かれないよう、話を合わせるために知っている名前を言っただけ。写真を見せられて、あぁ、これがあっちゃんなんだとぼんやりと思う。とにかく興味がなかった。アイドルの顔と名前を覚えるよりも、早く校庭に出てサッカーをしたかった。友人たちのアイドル談議を聴いているそぶりを見せながら、早く飽きてくれないかななんて考えていた。
友人が乃木坂工事中を見ている。束の間の休息と言ってスマホをいじりながら、私は課題を放り出しソファの上でだらけていた。目を輝かせて見つめる、テレビの中のアイドルと一緒に笑い、にやけている友人。テレビに映る顔は相変わらずどれも一緒に見える。私は所在なくTwitterを流れてくる呟きに目を通していた。30分のその番組が終わると友人は満たされた表情でテレビのスイッチを切る。そしてまた黙々と課題に取り掛かる。そんな週末が何度か続いた。
ねぇ、この子はなんていうの?何度目かの夜に問いかけた。毎週見せられているとさすがに少しは気になってくるものだ。おっ、と小さく呟いて、テレビに映るメンバーを紹介してくれる友人。ふーん、と最初は聞き流していたが、何度も見ているとメンバーの顔も名前も覚えてくる。深川麻衣がかわいいな、嫌秋元真夏もあざといけど好き。川を流れていたはずの水も、いつしか海にたどり着いていたことに気が付く。あぁ、こんなに広く、蒼い場所があったのか。そう、私はいつの間にか、そのアイドルの沼にはまっていたのである。皆同じに見えていた顔も、本当は全然違う。ダンスがうまい子がいて、おしゃべりが上手な子がいて、聖母のように優しい子がいて、クールに見えて実は少し抜けている子がいて、とにかくそれぞれに違った魅力がある。難しいことに挑戦する姿を見ているとはらはらした。番組内で行われるゲームや企画の中見せる色とりどりの表所にドキドキした。ふとした表情やしぐさに浮かぶ、彼女たちに流れる時間に想いを馳せる。いつしか目を離すこともできないほどに。横目に見ていた、ビー玉のように輝く友人の瞳が私にも宿っていた。そんな私を見つけて友人は嬉しそうに言った。この後欅坂の番組とけやき坂の番組もあるけど、見る?かくして私たちの睡眠時間は減っていく。
アイドルの顔なんて全部同じに見える、興味がない。全部本当だったと思う。でも知ろうとしなかったからだとも思う。それぞれに違った顔があること。それは眼差しを向け、言葉を聞き、貴方の中を流れる時間はどんなだろうと想うこと。そうしないと気が付くことができないものがある。そしてそれは徐々に確かな熱を帯びていく。無関心を決め込んで遠ざけていては、きっと何にも触れられない。
趣味は読書と旅行です。お経のように唱えていた。別にそこまで好きなわけじゃなけど、間を埋めるために、当たり障りのないことを言う。熱中できるものもなく、何にも無関心。空を浮かんでいるみたいだった。何も知ろうとしていなかった。柔らかい否定で、呆れるほど小さな自分の世界を守ろうとした。でもね、まぶたを上げて、見てごらん。知らなかったときめきが溢れているよ。
社会人になってから、ついに念願のライブチケットが当選し、件の友人と参戦した。ペンライトの電池新しくしたっけ、Tシャツちゃんと買えるかな。仕事をしながらも浮ついた気分がぬぐえない。いつもより早めに仕事を切り上げて会社を出ようとした時、同僚にきかれた。あれ、今日早いんだね、デートでもあるの?私は満面の笑みで答えた、アイドルです、趣味なんですよ。
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