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散らばってる記憶、整理する予定はない

割引あり

⚠️DVや虐待に関する映画についての記事です。

グザヴィエ・ルグラン(Xavier Legrand)の『ジュリアン(Jusqu'à la garde)』(2017)を観た。
離婚訴訟よりも精神的苦痛は大きいが、なるべく穏便に済ませたいからということで離婚協議を持ちかけた女性ミリアムには、2人の子どもがいる。1人は18歳の女性で、フランスではもう成人。もうひとりはまだ小学校高学年くらいの男の子。この男の子の名前がジュリアン。ジュリアンとしてはもう父に会いたくない。しかし、父のアントワーヌは、長女のほうはもう成人だからと長女の意思を尊重するが、ジュリアンにはまだ自分が必要だと共同親権を請求する。ミリアムとその弁護士は、もう父には会いたくないというジュリアンの声明文、長女が中学4年のときにアントワーヌに暴力をふるわれてけがをしたことについての診断書などを提出するが、アントワーヌとその弁護士側は、診断書は嘘であり、ジュリアンの声明文もミリアムに吹聴されただけなのではないかと異議を申し立てる。調停員はなるべくフェアであろうとしているのだろうが、それはすでに公正世界仮説というバイアスがかかった姿だ。映画の冒頭はそんな協議のシーンから始まる。開始数分ですでに絶望的。
案の定、後日、共同親権になったという連絡がミリアムに届く。離婚前はなんとか子どもたちをアントワーヌに会わせないよう、週末はパーティに行っているなどとなんとかかわしてきていたが、共同親権の中には面会についての規定も含まれていた。そのため、ミリアムの両親も、ミリアムも、ジュリアン自身も望んでいない面会にジュリアンはいかなければいけない……。

ここできっぱりネタバレを書いてしまうが、この映画において、アントワーヌに関してなにか大きなトリックがあるわけではない。序盤から視聴者が感じている嫌な予感は程度の差こそあれことごとく的中することだと思う。DVや虐待、モラハラや性差別について詳しければ詳しいほど、「こんな展開になるの!?」という驚きより、「だろうね……」という絶望とともに90分を過ごさなければならない。たとえば、アントワーヌは猟銃を持っていることが序盤でわかる。この映画においても、チェーホフの銃はやはり健在だった。

わたしの生みの親はわたしが小学2年のときに離婚した。どのような取り決めで離婚が決行されたのかをわたしは知らない。わたしと妹は母のほうに引き取られた。離婚の原因は知らないが、母はお酒とタバコが嫌いで、父はお酒とタバコが好きだったし、母は離婚して間もなく再婚した。というか、再婚前にすでに養父と母と妹とわたしの4人での生活が始まっていたのかもしれない。そのあたりの時系列はよく知らない。
離婚からしばらくは面会日というものがあった。2週間に1回だったか、毎週だったか、最初だけ毎週だったのか、最初から2週間に1回だったのか、もうなにもかも覚えていない。覚えているのは、たとえば「母が面会をよく思っていないということをそれとなく妹やわたしにほのめかしていたこと」「養父はとくになにも言っていないが、おそらく養父の前で実父との面会が楽しかったということを言っちゃいけないんだろうなと緊張していたこと」「面会中も、養父との生活が楽しいということを実父に言ってはいけないんだろうなと緊張していたこと」「実父の実家に行ったときに、実父のお姉さんだか妹さんだかに『新しいお父さんの名字なんていうの?』と聞かれ、答えたら『変な名字』と吐き捨てるように言われたこと」「最終的に、『(実父には)会いたくないよね』という母からのそれとない圧力に応じるかたちで面会は突如としてなくなったこと」などだろうか。
それぞれのエピソードについていろいろ書くこともできるけれど、ここでささっと書いておきたいのは、とにかく、わたしは大人たちのご機嫌をつねにうかがってなるべくその場が穏便になるように振る舞っていたということだ。わたしはジュリアンのようにわかりやすい暴力は振るわれていない。実父からも養父からも母からも。けれど、そんなわたしでも、ジュリアンが共同親権導入後初めてアントワーヌと面会している場面や、アントワーヌの実家でアントワーヌの父や母と過ごしている場面を前にしたときは、当時のいやな感覚が蘇ってきた。それくらいこの映画は人間の暗部をよく描けている。だから、観る前にそれなりの準備や覚悟を必要とする人は多いことと思うし、日本では導入される予定の共同親権によって本作で描かれるような悲劇が起こってほしくないと強く思う。

ところで、実父はともかく、養父と母の言動は、この面会の件に限らず、きわめて支配的なものが多かったといまでも思っている。二人とも自分たちが毒親であると言われたら否定するだろうが、そういうところ含めて、わたしは二人のことを毒親だと思っているし、ゆえに、もう何年か前に縁を切った。こうしたわたしの決断に眉をひそめる人も少なくないとは思う。わたし自身、わたしこそがずっとわがままをしていた、しているだけで、二人は毒親ではないのではないかという疑念に襲われることはいまでもなくはない。けれど、その対極にある気持ちのほうが何倍も大きく、何倍も頻繁にわたしの中に生じている。だから、もし「親には感謝しなきゃいけない」「親とは仲良くなければいけない」という社会的な重圧に押しつぶされそうな人がいたとしたら、そんなことはない、まずは自分の命、自分の感覚を大切にしてほしいと思う。

そういえば、実父の母からわたしの母方の祖母に対していつだったかに電話があり、妹やわたしにどうか会わせてくれないかという連絡があったらしい。面会日は1年ももたず消滅したような気がするが、この電話の件を祖母がこっそりわたしに教えてくれたのは、わたしが中学生だか高校生のときだったと思う。
ちなみにこの母方の祖母は、離婚そのものもそもそもあまりよく思っていないんじゃないかと思う。離婚直後は祖母が一人で暮らしていた家(つまり母の実家)に妹と母とわたしは住んでいた。いつだったか、わたしと祖母(と妹?)だけがリビングにいて、テレビで(おそらくとんねるずあたりの)恋愛系の番組が流れていて、そこでは出演したカップルたちがカップリングを変えるか元サヤに戻るかといったゲスいエンタメが展開されていたのだけれど、祖母が誰に言うでもなく「元サヤがいいよね……」とつぶやいていたときのことを鮮明に覚えている。そんな祖母ももうこの世にはいないけれど。

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