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給与カットに会計上の裏付けが求められる時代

最近は多くの企業で物価高が懸念材料となりつつあります。
言うまでもなく、物価の上昇は仕入れ・原価の上昇と利益の圧迫につながります。
結果、原価の切り詰めに限界を感じる企業が人件費の削減に着手するという未来が遠からず訪れるかもしれません。
今回は、そのような場合でも人件費の削減は容易ではないことを示す事例として学校法人梅光学院(給与減額)事件(山口地裁下関支部令和3年2月2日判決)を取り上げます。

事案の概要

本件は、被告の大学法人が運営する大学に教員として勤務していた原告らが、平成28年4月1日より適用された就業規則(のなかの賃金規程及び退職金規程)が労働契約法10条に反して無効であるとして、減額前後の差額賃金及び退職金を請求した事案です。
裁判所は就業規則の変更を無効として原告らの請求を認容しました。

判決の要約

本件の事実経過は次のとおりです。
今回は「経営状態をめぐる事実の経過」と「就業規則変更をめぐる事実の経過」を分けて記載します。

経営状態をめぐる事実の経過

  1.  大学の平成17年から同26年度までの定員充足率は71%から77%ほど。

  2.  平成25年から大学の定員充足率は改善し同28年には定員割れを回避できるようになる。

  3.  被告法人の小中学校の定員充足率は平成23年度に43%。その後は平成26年度に57%まで改善。

  4.  被告法人の帰属収支差額(企業会計の当期純利益に当たる)は、平成22年度から平成28年度までマイナス1億2000万円からマイナス2億7000万円を推移

  5.  被告法人の純資産は平成22年に約96億円であるが、以降は少しずつ減少して平成29年度には約85億円に

  6.  大学内の建物の一部が老朽化のため建て替えが必要に。平成29年時点で築49年。必要費用は25億円でうち15億円を自己資金で賄う必要。

就業規則変更をめぐる事実の経過

  1.  被告法人は平成24年4月に恒常的に学院改革のための統合本部を設置。以降、賃金及び退職金引き下げを伴う就業規則の改定に着手。

  2.  被告法人は平成27年2月5日から同年7月2日までの間、複数回にわたって改定後の就業規則の説明会を実施。

  3.  平成27年7月頃からは労働者らへの個別の説明も開始

  4.  原告らは平成27年11月18日に労働組合を結成。同月20日に被告法人に団体交渉申入れ。

  5.  原告らと被告法人、平成27年12月15日、平成28年1月29日及び3月5日に団体交渉を実施。

  6.  被告法人、平成28年5月27日頃に過半数代表者からも意見徴収を行う。

  7.  被告、以上の経過を経て平成28年4月1日より新就業規則を実施。

裁判所の判断枠組み

裁判所は次のような判断枠組みと本件事例でのあてはめを用いて就業規則の変更を無効にしました。

就業規則の不利益変更を認めるための判断枠組み

  1. 賃金や退職金の引き下げには、それを受忍させられるだけの「高度の必要性」に基づいた「合理的な内容」が必要

  2. この「合理性」の有無は、

 ①労働者の受ける不利益の程度、
 ②労働条件の変更の必要性、
 ③変更後の就業規則の内容の相当性、
 ④労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情

に照らして判断される。

本件でのあてはめ

  1.  被告は毎年2億円の赤字である上にキャンパスの建て替えなどの出費により10年ほどで資金ショートするおそれがあると主張

  2.  たしかに、被告の赤字は長期にわたり金融資産も減少。そのため、何らかの対策を講じる必要はあった。

  3.  労働組合との交渉や過半数代表者からの意見聴取過程に問題はない。

  4.  しかしながら、資金余剰額(帰属収支差額に減価償却額を加えたもの。企業会計における営業キャッシュフローに近いもの。)は基本的に黒字で推移。

  5. 被告法人の流動比率(流動負債に対する流動資産の割合)は平成28年時点で646%、平成29年時点でも336%(高いほど経営は短期的に安全)。

  6. 被告法人の固定比率(純資産に占める固定資産の割合)及び固定長期適合率(純資産及び固定負債の合計額に対する固定資産の割合)はいずれも100%を下回る(低いほど経営は長期的に安全)。

  7. 以上から、財政的に極めて危機的な状況に瀕していたとはいえない。したがって、労働者の不利益を受忍せざるを得ないほどの高度の必要性があったとはいえない。

  8. 賃金及び退職金の減額に対する代償措置もない。

判決へのコメント

判決を読んで、原告側弁護士の執念が勝負を分けたという印象をもちました。
本件の争点は賃金と退職金の減額の有効性です。
この点、賃金や退職金の減額は労働者の生活に大きな影響を与えるものであありますが、整理解雇のように労働者としての地位それ自体を剥奪するものではありません。
しかも、本事例で裁判所は経営改善の必要性が現実にあることを認めており、さらに労働者側の過半数代表者や労働組合との交渉経過に問題がないことも認めています。
そのため、ちょっと原告側の追及が弱ければ本事例は賃金・退職の減額改定も認められていたかもしれません。

その上で、本事例の大きな特徴は、財務会計上の指標が重視された点です。
特にキャッシュフローと長期安定性に大きな問題がないことを指摘した意義は大きいと思われます。
なぜなら、労働者側としては、キャッシュベースによる長期的な安定性を視点の中心におくことで、人件費以外の費用を削減したり、収益を改善したりするといった対応も可能という追及をしやすくなるからです。

また、裁判所が「財政的に極めて危機的な状況に瀕していたとはいえない」ことを理由に人件費削減の必要性を否定した点も注目されます。
この裁判例の基準による限り、企業は「財政的に極めて危機的な状況に瀕して」初めて人件費の削減ができるということになります。
この判決の基準による限り、使用者は経営が相当危機的状況にならなければ人件費の削減ができず、また、人件費を削減する場合には財務会計上の根拠を説明できる必要があることになります。
このように、企業にとっては、整理解雇の前段階から人件費の削減に大きなハードルを課されたことになります。
今回のような基準が定着することがあれば、社会に与える影響は非常に大きなものになるでしょう。
この判決により人件費を削減するよりも付加価値の創設に知恵を絞るべきいう流れができるとすれば、それが日本社会にとって最も望ましいところです。

最後に

最後になりますが、本事例では心の底から原告側弁護士の実力の高さと粘り強さに感嘆しました。

私みたいな会計に無知な人間ですと、「年間2億円の赤字」という言葉だけを聞いて「確かに被告法人の経営は苦しいし、そうであれば賃金減額も仕方ないかも・・・」と尻込みしてしまうところです。

そこを、キャッシュベースでの経営の継続性を論じた点に、弁護士としての実力と矜持が伝わってきます。
本当の「労働弁護士」になろうと思えば労働法だけ知っていても不十分で、周辺知識の習得も必要不可欠なのだと痛感しました。
自分としても、この裁判例をきっかけに財務・会計の勉強を深めていきたいと思い直した次第です。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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