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運命を受け入れるということ【読書感想文】


その日、私は仕事の用事で街中まで出かけた。TSUTAYAの前を車で走った時に不意に思った。「帰りに寄って帰ろう」と。
用事は早く終わり、ちょっと小腹のすいた私はコンビニで飲み物とおやつを買った。おやつをかじりながら車を走らせ、忘れる事なく、面倒に思う事なく行きがけに思った通りに、信号を右折してTSUTAYAの駐車場に車を停めた。

中に入ると、一番目に付く所のど真ん中にその本は展示されていた。

その本の周りにも、惹かれる本がいくつか並んでいた。だけど、私はその本と目が合ってしまったのだ。

林真理子さんの本。
私は林真理子さんの本が好きで、エッセイも小説もたくさん読んできた。だけど、ここ数年は読書もあまりしなくなり林真理子さんとはご無沙汰していた。そんな時に出会ってしまった。

最初の数ページを読み、買おうかなと思った。でも、せっかくだから他の本も覗いてみる事にした。中に入ってうろうろすると、惹かれる本がたくさんだ。あれもこれも読んでみたいと思ったが、家には紙の本も電子書籍も積んでいる本がたくさんある。

どうしようかと思いながらも、直感を信じてみる事にした。
最初に目が合った本を買う事にした。なぜか「早く読みたい、読まなきゃ!」とおかしな義務感さえ感じてしまった。
そして夜、すべての用事を終わらせた後、一気に読んでしまった。
こんな事は何年ぶりの事だろう。買った本を買ったその日に読んでしまうなんて。



この話は、よくある言葉で言うと「年の離れた男女の不倫」の話だ。しかも実在する人物と出来事を題材にしたフィクションで、小説のような体験談のようなつかみどころのない話になっている。
主人公は美しく賢い梨園の妻・博子と世界的に有名な写真家・田原の二人だ。

本の帯や前書きには、「この二人の出会いは奇跡である」「よくある不倫ではない」「それはとても高貴なもの」だと書かれている。
私は、それって一体どんなものなのかと興味津々で読み始めた。

結論から先に言うと、なんだかんだ言ってもよくある不倫の話ではある。出会いそのものは奇跡なのかもしれないが、高貴なものだと私には思えなかった。

ここで終わってしまっては元も子もないので、ネタバレは最低限にした感想を書いてみたいと思う。

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誤解を恐れずに言うと、私は自分の事を恋愛体質だと思っている。それは、手相にも出ているし、占星術や四柱推命などの命占でも言われているから真実だと思う。
だからか、私はいろいろな愛の形の許容範囲は大きい。いろいろな愛の形があるのは重々承知だ。不倫だって、肯定はしないけど否定もしない。

だから、この話も私はわりとすんなり受け入れる事はできた。
ただ、不倫は絶対許せない派の人はこの話は途中で読むのをやめたくなると思う。それは都合のいい、そういう話だからだ。

この二人の背景にあるものが浮世離れしすぎていて、庶民の私には現実味を感じない。住む世界が違うと言ってしまえばそれまでだが、そのせいかまるで映画の恋物語を見ているような、そんな感じがした。

二人の逢瀬だって、現実味を感じない。庶民なら、良くてシティホテルだろうし、普通ならラブホテルなんだと思う。それなのに、あの二人は高級ホテルに簡単に部屋を取るし、食事は高級レストランだ。それが羨ましいとかそういう訳ではなく、そういう所からも現実味を感じる事がないのだ。

さらさらと読み進めていくと、いつの間にやらこの二人は一緒に住み始める。しかも、子供(男の子)も一緒に。
梨園の男児といえば特別な存在だ。そんな事が許されるのだろうか。

博子は完璧なまでに梨園の仕事をこなし、舅姑にも立派に仕えている。しかし、夫は梨園の風習なのか女性との縁が切れない。
夫が不在なのも重なり、田原との関係が深まっていくのだ。

博子は、別居しながらも梨園の仕事は変わらず立派にこなしている。その辺りの事も私には理解しがたいが、それが特殊な環境に身を置く者の最低限の事なのだろう。

子供も田原に懐き、教えを請い、すくすくと大きく健やかに成長していく。
そういう環境は子供の成育において、どのような影響を与えるのだろう。普通なら、特に梨園のような場所なら子供は置いていくのが筋ではないのだろうか。
話の中では、子供を連れていく事は問題にはなっていないようだし、この子は立派に成長して、歌舞伎役者として育っている。フィクションとはいえ、なんだかその辺りの事は気になってしまう。

この状態が続いた数年の後に、あっさりと離婚は成立する。
やはり、これが運命の力なのだろうか。運命だから、時期が来たらすんなり事が運ぶというのか。
二人は籍を入れるが、話はここで終わらない。

田原に病気(肺がん)が見つかってしまうのだ。
様々な手を尽くし病気と闘ったけれど、田原はこの世を去ってしまう。
せっかく離婚して再婚して、これからだというのに。人生は何が起こるか分からないものだと思う。年の差があるという事はそういう事でもあるのかと改めて思った。

まさしく「死が二人を分かつまで」愛し愛されて生きていったのだろう。そこには寂しさはあるのだろうが後悔はないと思う。

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私は運命の出会いというものはあると思っている。ここでも何回か記事にした事があるが、前世から続く縁もあると思っている。それは、本人達にしか分からない事だ。それは、抗う事の出来ないものだとも思う。
それは、なるようにしかならないのだ。運命なのだから。

そんな出会いは、誰にでも訪れるものではないと思っている。縁とタイミング、そして機が熟した時、その出会いは訪れると思う。
その出会いを掴むか掴まないかは本人達次第だ。

この本を貼り付けるために、Amazonを見た際レビューも見てみた。散々な言われようだ。
実際、私も前書き通りには受け取る事はできなかった。
だけど、ここで否定的なレビューをしていた人達だって、突然恋に落ちてしまったらどうなるか分からないのではないだろうか。何がきっかけで恋が始まるのかなんて誰にも分からないものだ。

しかし、いくら「運命の恋」だと本人同士は思っていても、他人が見るそれは「よくある陳腐な話」なのだ。その恋の渦中にいる時は、周りがどう思おうがそれは「運命の恋」だ。いくら周りが頭がおかしいと思おうが、それは仕方のない事だと思う。実際、多少頭がおかしくならないと恋愛なんてできないと思う。特に「大人の恋」といわれるものは。

だけど、私はそれでいいと思っている。
周りが何と言おうが、本人同士が良ければいいのだ。そういう恋愛は、それに伴う覚悟と責任を持ってするものだ。その恋愛で、周りを巻き込んではいけないと思う。その覚悟が無いなら、恋愛なんてしちゃいけない。頭の中の妄想で留めておく事だと思っている。

そして、その恋が本当に運命なのだとしたら。
生まれる前から続いているものなのだとしたら。
その時は、運命に身を任せてみるのもいいのかもしれない。
覚悟と責任を持って、すべては自己責任で。



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