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#17|「どうして勉強しないといけないの?」に対する 元予備校校舎長母さんの答えは『人生の可能性を広げるため』

こんにちは。前職・学習塾12年のみゆなです。
過去1000人以上のお子さんを指導、勉強したくない小中学生から東大受験生まで送り出してきました。

またいま4歳の娘がいます。子育てをする中で、『教育』の意義を客観的に振り返る機会も多く持っています。

今日は「勉強は人生の可能性をひろげるためにするんだよ」というメッセージを深めてみようと思います。



勉強は人生の可能性を広げるため」と伝えたい根拠は2つあります。

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根拠① 興味を持てる分野が広がる可能性があるから

学校教育は実に多様なことを教えてくれます。国語・算数・理科・社会、図工に家庭科、体育に道徳。最近は英語やプログラミングもありますね。

教科を学ぶ手法も様々です。講義型だったり、ディスカッション型、フィールドワーク、実習…。
※学習スタイルについては議論があるところですが、主旨ではないので触れません。

学校の先生も子どもたちの知見を広げさせようと、躍起になって工夫してくれます。興味関心が異なる生徒が何十人も集まるなか、本当に頭が下がります。


学校で扱うから、その分野について知る


これ、事実としてありませんか?

人間、自分が興味がある分野と薄い分野とに分かれるものです。

でも学校は個人の興味の有無にかかわらず、これだけは知っておくべきと定められた分野について、強制的に一通り触れさせてくれます。これ、大事な機会です。まず知ること。興味関心は、知ることから始まります。


さらにテストもありますね。興味がないから勉強しないとは言っていられない。一生懸命勉強しているうちに、なんだか苦手だったところがわかるようになってきた、面白くなってきた!そんなケースは毎年とても多くありました。

学校教育があり、勉強をする。
だから広い分野について知ることができる。
興味がなかった分野も、面白くなってくる。
そしてもっと学びたくなる。


学びが自分の人間性や価値観の形成にどれだけ影響を与えるかは、言うまでもありません。

だから勉強するんだよと、伝える。これが第一の理由です。

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根拠② 学歴が与える影響は現実的に存在するから

勉強にしっかり取り組んでいくと、自然と目標が「テストで点数を取る・偏差値を上げる」ことになっていくのはよくあること。

点数・偏差値を意識するようになると、次に出てくるのが進学の問題。「偏差値が高い大学・いわゆる”いい大学”を目指すべきか」という論点になってきます。

賛否様々ありますが、私は「目指すことが可能なら、上を目指した方がいい」と考えています。より可能性を広げやすいからです。

学歴が与える影響は、令和の日本になっても現実問題として無視はできません。そして大事なのは偏差値のような定量的な指標ではなく、目に見えない部分の差です。

きっかけの差」「環境の差」この2つです。


(1)学校によって出会える人が変わる⇒与えられるきっかけが変わる

偏差値が近しい人が集まるということは、合格目指して「努力した量」と「出した成果」が近い人が集まるということを意味します。つまり、価値観や人生に求める意義の「深さ」が似通った人との出会いが多くなります。

「努力」に価値を感じる温度感。実際にした努力の量。
「勉強(教養)」の人生に対する意味づけ。
「将来の選択肢の傾向」。起業か就職か、就職なら首都圏大手か地元中小か。

出会う友人に限った話ではありません。先輩、アルバイト先、学内外の活動で出会う大人たち…。

出会う人が変わると、彼らから提示される「きっかけ」が変わります
きっかけ、つまりチャンスです。
「きっかけ」の大半は、人間関係から生まれることが殆どだから。

思い当たりませんか?人と話す中で「そういえば、今度さ…」とチャンスにつながる話を振られたこと。

もちろん、自分一人の力でつかめる「きっかけ」もあります。でも限りありますよね。チャンスとは、誰かとのご縁で広がっていくものです。

置かれた環境と、そこに存在する人が共通で持っている価値観は、自分ひとりで変えることは難しい。
もし、できるだけ高い意識を持つ人の中に身を置きたいと願うなら、手っ取り早い解決策が「偏差値の高い大学に行くこと」です。



(2)学校によって「当たり前」が変わる

自分が置かれている環境が自分のスタンダードとして、無意識に刷り込まれていくことになります。

例えば「留学するのが当然」という学校と、そうではない学校。
「授業は出席して当然」という学校と、テストの点重視ですという学校。
学外との交流が盛んな学校と、学内で完結している学校。
学生起業が当然の雰囲気と、企業に就職が既定路線の学校。

「周りがそうだから」と、自分の当たり前も周りに寄っていくのは、人間の不可抗力的な部分。どちらの方がいい悪いではなく、自分が望むのはどちらかという話です。

周りが「〇〇が当然」だと、自分も無視粋のうちに「○○が当然」になります。
自分の自由意志で決めたと思ったことが、実は置かれている環境に影響を受けた結果の思い込みだった。

よくありますよね。

どんな人生を歩みたいのか?
我が子にどんな人生を歩んでほしいのか?
理想を実現するには、どんな環境に身を置くのがベストなのか?

そこまで考えて大学選びができたら、充実間違いなしですね。

そして大学を自由に選べる自分になるためには、勉強にしっかり取り組み、結果を出しておくことが重要になります。

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まとめ:勉強は将来への投資

どうして勉強しないといけないの?に対する答えは、「あたなの人生の可能性を最大に広げるため。そしてたった一度の人生を、本当に充実したものにするため」。
私は娘にもし勉強する理由を尋ねられたら、こう答えます。

興味関心の幅が広がること、人や環境を「選べる自分」になれること。

日々の小さな妥協は良しとしても、人生を左右する大きな選択では、自分の意志で自由に選びたいものです。

人生は誰もが1回だけ!

人生を自由に描ける、そんな自分になるために。
勉強はその入口にあります。


今日はそんなところです。




一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。