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「時間の流れ方」は、人それぞれみんな違う。この違いの存在を忘れたとき、人付き合いにイライラが生じる。|#134

究極のところで、やっぱり「自分」というのは大事。

自分の価値観、
自分の物の見方、
自分の判断軸、
自分のスタイル。


自分のいろいろは、やっぱり大事。

だから自分以外の世界を見るとき、つい「自分視点」という眼鏡で見てしまう。自分視点で見て、判断して、感情が上がったり下がったりする。

ちょっと考えれば、10人いれば10人の「自分」がそこにあって、10通りの物の見方や生き方があるとわかることなのに。

ぼーっとしていると、また「自分眼鏡」にすぐ戻っちゃう。



それは「時間」という概念に対しても同じで。

「時間」に対する価値感、というか。
「時間軸」の据え方、というか。
「時間の流れ方」というか。

とにかく「時間」というものに対する意味づけも一人ひとり当然異なる、なのに、これまた「自分眼鏡」で周りの人の過ごし方を見てしまう。

そして時間に対する概念に乖離があると、決まってイライラする。


そう、私はかなりの「せっかち」だ。


* * *


フリーランスになって半年、時間あたりの生産高意識がかなり高くなったと思う。

「1時間あれば3,000字書ける。あの原稿は文字単価××円だから、この1時間でいくらの収入になるな」とか、
「来週は締切が多い。だからこれとこれは、絶対に今週中に終わらせたい」とか、そんな感じ。

要は時間があればあるだけ稼ぎが増える状態だから、そりゃあ時間は少しでも多い方がいい。できるだけ効率化して、できるだけ仕事を詰め込みたい。



一方、世の中には時間にゆとりがある人もいる。ゆとりある人の集まりに参加する機会があった今日、場にいながらソワソワを押さえられない自分がいた。

ソワソワの原因は、せっかちな自分が過ごしている「時間の流れ」と場の「時間の流れ」にあまりに差があったからだ。

在宅・一人で仕事をしている時間が長いから、「自分のペース、時間の流れ」が身体すみずみまで染みついていたんだと思う。
そういえば時間にゆとりがある人も世の中にはいるんだ、ということをすっかり忘れていた。


周りから見れば私の「時間の流れ」の方が異常に見えるんだろう。いつも忙しそう、とか。せかせかしてて落ち着かない、とか。



集まりの途中でふと、イライラしているのは周りの時間の流れ方を「自分眼鏡」で見てしまっているからだ、と気付いた。その瞬間、すっと気持ちが楽になった。
イライラの正体がわかったからだ。

自分の眼鏡で周りを見、自分の眼鏡に合わないからイライラしていたんだ、私。なんて自己中な。



きっとたぶん、「自分眼鏡」で周りを見るということがデフォルトだ。だって楽だもの。客観的な思考回路を使わなくていいから。

でもそれでイライラするのももったいない。

イライラしたら「自分眼鏡で見ていないか?」「自分と周りは違って当然、と忘れていないか?」と自分に問いかけてみようと思う。今日のようにスッと楽になれるかもしれない。



そんなことに気づいた会合だった。

一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。