見出し画像

#62|「大きくなったねぇ!」は、子育ての孤独感を和らげる優しい言葉。

『地域ぐるみでの子育てが見られなくなった』、と聞く。少子化、社会構造の変化、価値観の変化など、原因は様々だ。

でも本当に『地域ぐるみの子育て』はなくなったのだろうか。いや、今も「形を変えて存在し続けている」と感じる。私は地域の皆さんに子育てを見守ってもらっている、地域の恩恵を受けていると感じる。

私が住んでいる長野県佐久市は、不便無く暮らせるそこそこの地方都市だ。人口は約10万人。北陸新幹線(の鈍行)が停車する駅があり、大きなイオンがあり、駅周辺の再開発が進んでいる。

いたるところに「大東建託」の新しいアパートが建ち、公園も文化施設もあり、自治体は「子育てを応援します(移住推し!)」。地方あるあるの街だ。


そんな市内でも人口急増地区にある、賃貸マンションに私は住んでいる。このご時世に児童の増加により収容人数のパンクを起こし、平成27年に小学校が新設された地区だ。


賃貸マンションは、住人の入れ替わりが多い。深い関係を築くことはない。会えば立ち話をするご近所さんもいるが、そこまで。

マンション周辺はアパートが多く、昔からそこでコミュニティを形成しているであろう周辺の家々に、どんな方が住んでいるのかなんて全く知らない。


まあ、私も「市外から転勤してきた賃貸済みファミリー」の典型だ。



「昔だったら、考えられない!」
祖父母が生きていたら、そういうだろう。

「近所は運命共同体だ。何かあったら助け合うんだ」
運命共同体は大げさだと思うけど。


私が子ども時代を過ごした今から30年前(え、そんなに!?)、昭和の終わりごろの田舎は近所中が「血はつながっていないが親戚」だった。

学校の後は隣家の庭であそび、向かいの家に勝手に上がり、近所のおじさんが野良仕事をしているそばで虫を追いかけ、角の家で山羊を観察する。

父や母も同じ育ち方をしているから、心配もしない。隣家で夕ごはんを頂いているところに、母が迎えに来たこともある。

いわゆる「子育ては地域ぐるみでするもの」というイメージ、そのままだ。



今、娘に同じことはさせられないし、できる環境でもない。4歳の娘は、保育園にいるか、私と一緒か必ずそのどちらかだし、小学校に上がっても交通事情の関係で送迎にするつもり。
安全を考えると、一人で勝手にどこかへ行くなんて絶対にさせられない。


だから昔ながらの「地域ぐるみの子育て」は無縁だな…と思っていたが。やはり子育てというのは、地域との縁なくしては成り立たない。


昔とは形を変えただけだ。
今も「地域の皆さん」には非常にお世話になっている。

保育園の先生だって「地域の人」だ。

さらに、
・1年間泣き続けても歓迎し激励し続けてくれた歯科衛生士さん
・毎回泣いても「大丈夫よ~」と連れて行ってくれるスイミングのコーチ
・「大きくなったね」と声をかけてくれるセブンイレブンのおばちゃん
・「成長を見ると感慨深いわ」と言ってくれる科学館の解説員さん
・人見知り娘が仲良くなるまでじっくり待ってくれた昆虫館のスタッフさん


大勢の「地域の人」が、娘の成長を見守り、楽しみに見てくれている。

娘の周りの人は、みんなあたたかい。
この地域の人は、みんな人懐っこい。

気軽に声をかけ、全面的に肯定しながら成長を見てくれている。これも「地域ぐるみの子育て」といえないだろうか。

昔は「地域ぐるみ=近所ぐるみ」を指したものが、今は「地域ぐるみ=子どもに関わる人」に意味を変えただけだ。



「大きくなったね」は、多くの意味を含む。

・小さいころからずっと知ってるんだよ
・ずっとあなたを気にかけてるよ
・あなたの成長を見るのが楽しみだよ…

たった一言、地域の方に「大きくなったね」と声をかけてもらうだけで、孤独感が和らぐ気がした。
ああ、一人じゃないんだ。みんな、見守ってくれてるんだ、と。


昔とは確かに「地域」との関係性は変わっている。「近所の人」と人間関係を築く機会もほとんどない。

それでもやっぱり、地域の人は地域の子どもの成長を見てくれている。あたたかく。


まだまだ日本も捨てたものじゃないなと思う。
そして佐久市は、本当に子育てがしやすい街。間違いない。

この記事が参加している募集

一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。