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#86|クリスマスの朝、空を見上げて娘が言った。

12月25日、朝7時半。
保育園に向かいながら、
「今日帰ってきたら、さっきもらったクリスマスプレゼントで遊ぼうね!」と、ウキウキな娘。

・・・が、ふと空を見上げてつぶやいた。

「あれって、サンタさんが行っちゃった跡かなあ」


え?

早く行こうよ、保育園に送る前にゴミも出していきたいんだよ…と急かしたい気持ちもありつつ、娘が指す方を見上げる。

そこにあったのは、筋状の雲。
冬至直後のまだ遅い日の出が、ようやく空に青みをつけ始めた空に浮かんでいた、筋状の雲。

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おー、なるほどね~。

そうだね、サンタさんがソリで行っちゃった跡かもしれないね。まだまだプレゼントを配るのかもね。


そう答えながら、雲を見て『サンタクロースのソリの跡』と連想する娘の発想に感じ入った。

大人は子どもが持っていない「知識と経験」を持っている。

一方、子どもの世界には、大人の世界にはいない「いろいろな者たち」が住んでいる。「いろいろな者たち」は、子どもによって様々だろう。


うちの娘の場合、現実と空想の境界線がまだあいまいな彼女の世界で、妖怪や鬼、おばけがしっかりと「生きている」。

娘は彼らに人格を与えている。毎日呼び出し、会話し、一緒に保育園に行ったり、遊んだり。彼らはたまに、私の代わりに叱ってくれたりもする(とても助かる)。


娘も彼らが空想の産物だとわかりつつあるのか、空気を読んでいるのか、私以外の人前では彼らと話さない。

でも娘にとっては大事な「友達」だ。
娘の中で彼らは確実に存在し、毎日を味わい深いものにしてくれている。



こうした「空想の友達」がいる子どもは多く、不自然なことではないらしい。そして成長とともに、徐々にいなくなるものだと…

自分に空想の時代があったのかは覚えていないけれど、とっくに大人になった私自身は、娘とは対照的なほど徹底的に現実主義。

大人が持つ「知識と経験」で生きることが全て!と言い切れる生活だ。

夜空の星を見れば「あれは恒星。自分で光を出している。何億年もかかって地球に光が届くって、どういう仕組みだろう」なんて考えてしまうタイプ。
空の雲を見れば「雨になりそうだな。今日の段取り変えようか」。
イルミネーションを見ても「作った人、大変だったろうなあ…、電気代どれくらいかなあ」とか。


・・・我ながらロマンチックには程遠い。よくまあ、雲を見て「サンタのソリの跡」と思いつく娘が生まれたものだ。


誰もが大人になれば仕方ないかもしれない。
大人になるというのは、現実的になるということなのかもしれない。

だって、現実に生活していかないといけないから。ソリの跡より、今日雨が降るかどうかの方が、重大問題だから。



それでも子どもが言うロマンチックなことを、一緒に「そうだね、素敵だね」と共感し喜び合う在り方は忘れずにいたいと強く思う。

そして子どもが言っていることに、ちゃんと耳を傾け、気を向ける「気持ちの温かさ」は持ち続けていたいと思う。


そう、トトロだ。
トトロに会えるのはメイとサツキだけ。
本当にいるかどうかは、誰にもわからない。

メイとサツキが「トトロがいたの!」と興奮してやってきたとき、2人のお父さんは2人を全面的に肯定した言葉を返す。否定せず、淡々と、ちょっぴりの驚きとワクワクと共に。


あのお父さんの心の温かさだ



年末年始の休みも目前。子どもと過ごす時間がぐんと増える。子どもとぶつかり、イライラすることも増えるだろう。

そんなとき「サンタのソリの跡」という娘の発想が気づかせてくれた「心の温かさ」について書いた今日のnoteを思い出し、自分の在り方を正したい。そのための備忘録。


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