「世の中そんなもんだろ」って言ってた自分がどっぷり「世の中」だった(言い訳に使ってる場合じゃない私たちへ)
こんにちは、白澤美幸と申します。私は地域の課題をITで解決するシビックテックという活動をしています。Code for NAGAREYAMAの代表をしていて、千葉ではCivic Tech Zen Chibaというアライアンスの代表をしていて千葉県のDX推進に関わるアドバイザリー会議にも出席させてもらっています。
・・・というのが私の自己紹介でした。
実は2022年12月にCode for Japanという団体の理事になりました。
Code for Japna(コード・フォー・ジャパン)は、ざっくり2010年くらいから日本でもちらほら聞かれるようになった『シビックテック』という活動をしている団体です。
最近だとコロナ禍でたくさんの方が目にしたであろうコロナ対策サイトを市民と一緒に作ったりしている団体です。
市民ってなんぞや
この間「市民(シビック)」の話しをしていたら「私区民だし」みたいな返しをされたので、「市民」をwikipediaで調べてみるとこんな感じでした。
人が社会や地域に関わっている状態を指している言葉なんじゃないかなと勝手に解釈しています。
いつでも誰でも何かしてるんじゃないか
「なぜ市民活動をしているのか」と質問してくれる若者がいるんですが、話をよく聞いてみると、市民活動=何かやってやるぜと息巻いている人がやることみたいに思っているみたいでした。これね実は、大人になったらいつでも誰でも何かしら、自分の身の回りのことをやっているんです。
賃貸の時にはなかったマンション管理組合とか、自治会とか、最近少なくなっていますが労働組合とか、PTAとか、クリーン活動とか…。
それを受動的ではなく能動的にやるきっかけがあれば、自分が何かをしているという感覚にかわるのだと思います。
いつのまにか「世の中」のど真ん中にいた
「世の中そんなもんだろ」みたいな諦めというか、ニュートラルな立ち位置で「自分じゃない誰かが世の中を動かしていて、誰が何をするわけでもない日々変わらない生き方をしているから世の中が良くならないんだよ。でもそんなもんなんだろうな。」と思っていた若い頃…気がついたらいろんなことをしているのが大人で、知らないうちに私が「世の中」になっていたんです。
自分が若い頃遠巻きに見ていた「世のど真ん中」になってるんだよって気がついたのは最近で、昔「若輩者ですがよろしくお願いいたします。」って言った時に「いつになったら若輩じゃなくなるんだろうね。責任逃れじゃない?」と言われたことがあったのを思い出したり…若者ぶって自分たちがやっていることを変えないで人のせいにしてるのはすこし恥ずかしいなと思ってきました。
「自分たちでまちをつくる」をつくる
シビックテックという活動は受動的にやるというきっかけは皆無で、今どんなことに困っていて、自分たちは何を目指して、どんなことをするのか。それを見つけること、作ることから始まるんじゃないかと思います。でも、みんながやっているものとあまり遠いところにはないんですが、ウルトラ能動的ではあります。
それは「自分たちでまちをつくるんだ」という意識の醸成から始まるのだと思っていて、それを「何?意識高い系?すごいね。よくやるね。」とか言ってる人がいたら「若者ぶってるね!イタイよ!」と返してあげたいと思うくらいです。
成人して何十年も経ったら当たり前に何かやってはるでしょ。
「自分たちでまちをつくる」ことは大人であればいつでも誰でも何かしらやっていて、それは当たり前のことでそうやって良くならない『世の中』は実は自分たちなんだと、そろそろ自分の年齢に目を背けるのをやめたい。
世のど真ん中で「もがく」
世の中が自分たちなんだと腹を括ったので、ど真ん中できちんともがくことをしないといけない。そのためには、きちんと話しを聞いてもらえるようにならないといけない。
もがけるようにどうしたらいいか悩んでいた年末に、同じシビックテック仲間で地域情報アドバイザーでもある牛島さんから、Code for Japanの理事の話をもらいました。
二つ返事で参加させてもらうことにしました。以前のnoteにも書きましたが、話を聞いてもらうにはキャリアが必要で、そのキャリアをわかりやすく伝えるのが肩書きなので、Code for Japanに参画したら「もがく」ができるようになるなと思っています。
というわけで、新年一発目は「白澤、日本(Code for Japan)の理事になる。」です。次はどんな展開になるのか、またご報告ができればいいなと思います。
それではみなさん、良い1日を!!
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