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もう失わない。

「一度出会ったら、人は人をうしなわない。」

江國香織の神様のボートに出てくる一説をつぶやいた。口に馴染ませるように、何度か。

厳密に言えば、私と彼が出会ったのではない。
私が彼に出会ったのだ。

あれは、渋谷のライブハウス。
別のバンドのライブを見に行ったら彼が歌ってたのだ。

オレンジや赤に染まるステージの中で、彼は静かに(音は大きいけれどその姿は静かとしか言い表せない)歌っていた。すーっと凪いだ湖面のような瞳、高音を歌うときの独特の口元。すっかり魅力されて目が離せなくなった。

「赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって
なぜか無駄に胸が騒いでしまう帰り道」

ライブからの帰り道、この歌詞が頭の中をループした。

この歌声を聞いた5年後、志村さんはこの世を去った。
志村さんは、歌詞の中と同じような、切なさの世界を生きたのだろうか。
今だって、志村さんの澄んだ瞳を思い出すたびに、胸が詰まり涙が溢れる。

そして、それから10年もの時が流れた。
今年に入り、あのライブを一緒に聞きに行った当時付き合っていた恋人が、偶然私の活動を見つけてくれてメールをくれた。青春時代の5年間を、半同棲のようにしてほどんど毎日一緒に過ごし、これまでの人生でいちばん心を共にした、と思っている人。行き違いがあって、一緒にいる日々は終わってしまったけれど、今もフジファブリックを聴くたびに思い出す。あの、東京の独特の空気とともに。

「茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すことがありました
君がただ横で笑っていたことや
どうしようもない悲しいこと」

そのメールの中に書かれたひとつひとつの言葉から、確かに、私たちは、それぞれにお互いを失っていないのだ、と分かった。一緒に過ごす時間は終わったとしても。そして、私は、志村さんと出会ったことも失っていない。もうこの世にいないとしても。

何年経っても、夏が来ればフジファブリックを聴く。
始まったと同時に夏の終わりが頭の片隅から離れなくなるような、せわしないようにも思えるほどの心情で、最後の花火のことを思う。秋風が吹けば、金木犀の香りが漂うようで、あの渋谷のライブの日やその当時の日常の記憶がどっと押し寄せて、過去に絡め取られてしまう。たまにゃこんな夜もいいんだ。

それでも、これからは、一度出会ったら、お互いに失うことはないのだと、そう思いながら生きていけるのだと思う。あの頃の自分も恋人も志村さんもみんな飛んで行ってハグしたいくらいだ。

たとえばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる。あのひとがいたら何と言うか、あのひとがいたらどうするか。それだけで私はずいぶんたすけられてきた。それだけで私は勇気がわいて、ひとりでそれをすることができた。(「神様のボート」江國香織)



バイバイ、8月。
夏の終わりは感傷的になっちゃうね。



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