パラレルキャリアの育て方① 全ての点を繋げる
学生さん、クライアントさんから最も多く受けるご質問に今回はお答えします。
どうすればパラレルキャリアをつくることが出来るのか? 複業、転職など悩まれるたびに自分らしいキャリアとは?今後のキャリアをどうすべきか?など気になる方も多いのでは。 今回は大学教員、会社経営者、大学院の研究室などいろんなことやっているように見える大塚のキャリアを例に考えます。
この記事に興味を持って頂きありがとうございます。
1、パラレルキャリアは点と点を繋いだ先に待っている
スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学スピーチを聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?YouTubeなどで見たことがある方は思い出してください。
ジョブス氏の話にあったようにパラレルキャリアは後から考えれば「あ〜あの時の◯◯の、あの時の□□が繋がっていたんだ」というものです。
私のキャリアもそうで点と点が繋がって線になり縁や運が絡んで今に至ります。まさにConnecting the dotsです。これから話すことは大塚を例にしますが(たどったキャリアが同じでなくとも)これを自分に当てはめたら自分はどうなるだろう?と想像しながら読んで頂けたら嬉しいです。
2、コミュニケーションの基礎を学んだ新卒局アナ
アナウンサー志望でなった私が友達と一緒に受けた局アナ試験。入社後地獄のような日々を送り辛くて辛くて…となります(爆)
局アナ試験に受かったのは運・縁しかありません!運や縁はそうゆうものかな、と今になって思います。しかし…当時の自分を思い出すと良く受かったな、面倒をみて頂いたテレビ山梨には感謝しかありません。
この時の地獄のような日々、学びがその後の起業へと繋がりました。人生分からないですね。
当時の私は知る由もありませんでした。
冒頭にも書いたようにアナウンサー志望でなかった私はアナウンススクールに通ったこともないまま入学しました。
皆さん入社される時はスクールへ通い基礎が出来ているんですね。私は発声練習もままならない、ど素人でアナウンス部長さん始め先輩方から多くの時間を指導にさいて頂きました。訳分からなくて辛かったなぁ〜(涙)社会、会社、練習、一人暮らし…全てが分からなすぎて本当に真っ暗闇の中を不安な気持ちで過ごしていた記憶です。
3、起業へと繋がる局アナ時代の伝え方ノート
アナウンサー研修を約半年受け徐々にテレビで天気予報、リポートなどを担当するようになりました。録画であればプレビュー、生放送なら録画を毎回確認し出来た点、改善点を書き出し次までに何をすれば良いか先輩方のお力を借りながら試行錯誤しノートをつけました。
ど素人が人前で伝えるプロになろうともがいた日記です。課題は消えることなく次から次へと溢れます。
その間、TBS系列だけでなく民放連の研修などに参加する機会を得ながら、これを続けました。
後に、人前で話す方のプロデュースをする事業で起業する基礎はここで培いました。発信する自分の視点だけでなく、他の方々から多くを教えて頂きました。全体をみるプロデューサー視点、ディレクターさん視点、隅々まで気を遣うADさん視点、カメラマン・音声・照明視点、局にいた5年でど素人から時間をかけて知識を得て変化し成長させて頂きました。
仕事と直結しませんがプロデューサーさんのおかげでゴルフも始めました。ゼロから育てて頂き、ありがとうございます。
4、偶然頼まれた話し方練習講師が事業へ
局アナをやめフリーランスになったタイミングで偶然友達に「話し方を教えて欲しい」と頼まれました。友達が困っているし私が協力できるなら喜んで♪と、引き受けました。
その時、前述でご紹介した過去つけていたノートが(意図せず)役立ちました。私は全く訓練しない状態で局アナになったので、いわゆる訓練していない一般の方がどう練習すればいいかイメージがつきました。ラッキーですね!
こうして、今の弊社軸となる1つ目の事業「ビジネスプロデュース・プレゼンテーション」をTV→ビジネスでの発信におきかえてまとめていきました。
Special Thanks
お名前書ききれませんが…最初のキッカケ
弁護士ドットコム 代表 内田陽介さん
5、大学広報のはずが…今の研究テーマで出版になる不思議な展開
「局アナを辞めました」と言うと不思議といろんなお仕事を頂きました。話し方を教えて欲しい、選挙で候補者がいかれない場所へいき演説して欲しい、誰もが知るラグジュアリーブランドで広報しないか、大学院の広報しないか?などです。
ちなみにラグジュアリーブランド広報以外はやりました。今回は詳細を書きませんが選挙のお手伝いで候補者に代わって演説し続けたのは本当に珍しい経験です。選挙の大変さ、狂気を肌で感じ学ぶことが出来ました。
話が逸れたので戻ります。
いろいろお話を頂きましたが…昔からお世話になっている大学の先生に頼まれた大学の広報のお仕事をお引き受けすることにしました。と言っても広報経験ゼロでした(汗)
今までテレビで番宣や品物、サービスの紹介・宣伝はしてきたので多分出来るかな、と。あと、その先生&ご家族みんな仲良くして頂いていたので少しでもお役に立ちたい!という気持ちでした。
始まったら…全く想定外の連続
全然広報の仕事でなく国際カンファレンスの事務局、授業のゲスト講師アレンジ、やっていることがよく理解できない、と伝えたら…授業への出席、と予想しない展開続きでした。新卒局アナで全然事務作業したことありませんでしたがイベントは司会として100人くらいから1000人、5000人規模も数多く担当していました。誰がどんなものを用意し動けば良いかは概ね分かっていたのはラッキーでした。いつも代理店の皆さんがやってれていたことをすれば出来るはず!と考え進めたら、形になるものですね。
海外からの参加者へは英語のメールや電話会議で対応し、サビついていた英語も毎日使うと思い出して慣れることが分かりました。これも良い発見です。
授業への参加、研究会の事務局をしているうちに、(当時は予想もしない現在の)博士課程研究テーマを意識するようになります。そんな中で研究会メンバーで共著書『日本の将来を変えるグリーン・イノベーション』(中央経済社)を書くことになり大御所の末席で1章担当させてもらうという貴重な機会を頂きました。
思えば、授業にでたり、研究会や国際カンファレンスの事務局を担当したりしつつ資料に目を通していました。
そこで多くの刺激を受けていたことに後になって気付きました。
なんとなく大学院に行きたいなと思っていた私の背中を押してくれた1つは、この環境もあります。いろんな影響を大きく受けた想定外の大学でのお仕事です。
Special Thanks
東京大学 客員教授 林良造先生
東京大学 教授 藤原帰一先生
九州大学 主幹教授 馬奈木俊介先生
その他にも大勢の先生方や仲間の皆さんに感謝でいっぱいです。
6、ボールをいくつもジャグリング?!同時並行はちょうど良い
局アナを辞めフリーランスのアナウンサーとしてお仕事しつつ、大学や選挙、話し方をお教えしていました。これは個人の性格やタイプによるかも知れませんが…個人的には、いくつかの仕事を同時並行していて良かったことが多かったです。
仕事ごとに考えなくてはいけないことがあります。でも、なかなか乗り越えられないタイミングもあります。
イメージとしては、こうです。いくつもボールを高く上げてジャグリング🤹♂️落ちてくるまでに考え、考えている間は少しずつ他のボールを運ぶ。これを繰り返すうちに、いつくも同時並行でモノゴトをすすめやすくなります。
これは私の言葉ではなく東京大学客員教授・林良造先生が教えてくれたことです。
外から見ていると…とても責任ある重い問題を、いくつも、いくつも解決していくフィクサーのような動きに長年疑問を持っていました。どうして、この先生だけこんなことが出来るのだろう?と。そこでご本人に伺ったところ、そう教えて頂きました。
考えても答えが出ないことはある。だから、その間はボールをあげておくんですよ、と。
これは後の私に大きな良い影響を与えてくれた考え方・働き方になりました。
うんうん悩んでも解決出来ない、考えたくないのに考えてしまう、なんていう無駄な時間はなくなりました(笑)
7、続きは次回
振り返ると本当に多くの方とのご縁で、ここまで生かされていると感謝の気持ちでいっぱいです。
長くなりましたので、この続きは次回にしますね。お読み頂きありがとうございます。
さぁ、大まかにイメージは伝わったでしょうか。あとは自分ごとにして、やってみるのみです。え?これで良いの?〇〇の場合はどうしたら良い?等、ご相談・ご質問は気軽に大塚のTwitterへツィートして頂ければ幸いです。
感想・今後取り上げて欲しいテーマもお待ちしています。
これを機にあなたのビジネス、キャリアが好転していくきっかけになるようねがっています。最後までお読み下さりありがとうございます。
大塚美幸Twitter https://twitter.com/myk_otsk
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