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長女の事、その2

長女は中学の頃から歌や演劇にハマり、高校は私立の演劇科のある高校に行きたい、と言った。

当時私は夫と別居中で、生活保護を受けて生きていた。早速、アメリカの生活保護受給の規程を担当者に尋ねた。既に私は、持ち家も車も所持していたのに、生活保護受理が認められていた。

アメリカの生活保護は、寛容だ。家と車は生活必需品とみなされ、「たとえ、大理石の床に、金のシャンデリアのある家に住んでいても、必要であれば、生活保護は受けられるのよ」と言った担当者の言葉が忘れられない。

娘が私立の学校に行っても、生活保護を止められないことを確認してから、受験勉強を開始した。それまでハワイでのんびりと生活していたが、娘は、勉強、ピアノ、そして歌を学び、晴れて希望の高校に入学した。

結果的に言うと、娘は勉強も演劇も頑張りすぎ、同時に機能不全家庭で、良い子に振る舞う事に疲れ、鬱を発症し、未遂を起こし、入院。

その後の事は別の記事、「長女の事」に書いた。

娘は結婚し、4人の子を育てながら、鬱と戦いながら、大学を卒業した。が、長女には不幸が次から次に押し寄せた。生きることだけで精一杯で、勉強が好きだった事も、書いたり、演じたりするのが好きだった事も語ることはなくなった。

とにかく生きていてくれれば、それで良かった。今、バスの運ちゃんをしながら、4人の子供達を育てる逞しい女性に成長した。これ以上、何も望まない。

先日、長女の口から意外な言葉が出た。

「私、演劇のクラスに通おうかな、安くて、時間的にも可能なクラスを見つけたの」

嬉しかった。

娘の、美や創造や自己表現への夢は、消えそうになりながら、彼女の命と共に、生き延びていた。

生きていれば良い、だが人間である以上、自己表現は衣食住と同じ位大切だ。

亡くなった次男は長女に似ていた。頑張り屋で、賢く、役者を目指していた。

彼の出来なかった事を、長女が繋いでくれるのかもしれない。いや、長女は長女の意志で、行動してくれれば良い。

長女の人生から、多くを学ばせてもらっている。



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