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人を疑ってばっかりの弱虫な私が、人を信頼していく中で感じたこと。

こんにちは、カウンセラー/コーチの武石美有紀です。

数年前の私は、人に褒めていただいても「どうせ噓でしょ?どんな裏がある?」って勘ぐったり、人と仲良くなる中でも「相手が自己開示してくれたら私もする」という人でした。信頼するととことん信じちゃうから、裏切られたときのショックを味わいたくなくて、保険をかけてたんですよね。
あれやこれや調査するもんだから、数年前にとうとう、いちいち疑うのが本当に面倒くさくなっちゃって(笑)
何で私はこんなに怯えてるんだろう?この鬱蒼とした靄の中から脱出したい…と思い、”人を自分から信頼できる私になる”を目標にして色々頑張ってきました。

その挑戦の中ではっきりしたことは、”信じる”って意外に難しいということです。学ばせていただいている根本裕幸先生のブログが分かりやすいので引用します。
「信頼」と「期待」の違い。

大切な人の、大切な組織の決定を、ひたすらに受け入れる。
信じるということは、私がどうしてほしいという期待を叶えてくれるか否かではないんですよね。
もし期待した結論に至らなくても、それを受け入れる力、いや、その結論を受けた上で自分で自分を幸せにする力があるか、そんなことだったんですよね。

それに気づいて人と向き合うと、信頼するか否か決めるときに、自分への問いが変わることに気が付きました。
昔は「この人大丈夫?信じられるだけのチェック項目をクリアしてる?不審な動きや言動はない?」とか相手へのジャッジをする問い。まるで調査会社のようでした(笑)
今は「私は、この人と向き合うだけの器がある?どんな結果も受け入れる強さがある?精神的に安定してる?」とか自分の意志や状態を確かめる問いに変わりました。

自分の意志や状態を確かめる問いかけを何度も繰り返していくうちに、弱虫な自分と出会って凹んだり、不安を作り出す過去の痛みを思い出したりしました。でも、それらと出会う度に、自分の優しさに気付けました。しまいには、弱さに愛おしささえ感じるようになりました。人間らしくて可愛い~。弱さや痛みを大切なものとして昇華できた時、それらは、私を支える強さに変わった気がしました。
「こんなに経験してきたんだから、もし期待通りに事が動かなくても大丈夫じゃない?」
「今の私よりも経験値の少ない幼い私が乗り越えてこれたんだから、これからの私が出来ないはずない!」
「何かあったら、今までの乗り越え方を繰り返せばいい。それで無理なら誰かに頼ろう。」
そんな自分との会話を繰り返し、少しずつ”自分から”人を信じることが出来ています。道半ばですけどね!

で、今年の大きなテーマとして、もう一度”信頼”を置こうと思うのです。
少しばかり成長した今、さらに、大切な人を大切に出来る自分でありたいという気持ちが強くなりました。
私は、女性という生き物が好きで、しなやかさや愛らしさ、優しさなどはとっても大事だと思っています。でも、芯は強く、真っすぐでありたいのです。そこを強化したい!
今年は、どんな状況になっても、信じて決めた道を全うする。自分の弱さも受け入れて、それに向き合って、また立ち上がる。何度も何度もやってみようと思っています。

それでは、またお話ししましょう!


カウンセラー/コーチ 武石 美有紀

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