「信頼」と「期待」の違い。
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。
***
どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、暑い日が続いておりますけど皆さんいかがお過ごしでしょうか。
久々に大阪に帰ってきまして、こちらで収録をしております。
今日のテーマはけっこう大事なお話というか、ありがちなというテーマになります。
「信頼と期待、その違いってなんだろう?」というお話をさせていただきたいと思いますので、よかったら最後までお聞きください。
これ以前にも多分お話したことがあるような気がするんですけども、なかったらすいません。
けっこうメジャーなテーマで、信頼と期待ってどう違うの?っていうお話でございます。
今日のブログでいただいたネタは、そこにさらに関連して放置プレイで放置するっていうこととか、あと逃げるっていうことね。
このあたりも含めて解説をしてますのでよかったらブログの方もお読みいただけたらと思います。
たとえば、「信頼してた彼に裏切られた」っていう日本語があるんですけども、実はこれ日本語としてはもちろん成立しますし問題はないと思うんですけども、ちょっと心理学的に見ると実はそれは成り立たない言葉なんですね。
「信頼してる」って状況では裏切られるっていうことは実は発生しない・起こらないものでございまして。
実はそれは「裏切らないと期待していた」っていうことになるんですね。それが裏切られた結果ということになるわけです。
なのでこのへんの信頼と期待っていうのはちょっと難しいんですけども、普段日本語として使う分にはいいんですけども、心理学的な意味で「信頼」っていうともう少し厳密といいますか、厳しいような見方っていうのが出てきますので、その辺をご理解いただけるとまたわかりやすいんじゃないかなっていうふうに思います。
信頼っていう言葉、信頼関係とか相手を信頼する・信頼されるということ、逆に信頼できない状況、不信感っていうふうに言ったりとかもしますし、それから自分のことを信頼する、これ要するに自信ということですし、自己不信っていう言葉もありますね。
信じる・信じないみたいなところも含めて、信頼っていう言葉はけっこうあちこちに出てくるんですけども。
我々が使っている「信頼」という言葉の意味っていうのは、たとえば相手を信頼するっていう場合、その相手の全ての要素に対して信頼するっていうことになるので、どんなことになろうとも、どういう行動選択をしようとも、その相手の選択を支持する。全面的に支持する。あるいは全面的に受け入れるっていう覚悟のことを信頼っていうふうに言います。
ちょっとわかりづらいですね。
つまりたとえば相手の人にとって僕たちは無意識に「期待」をしていることが多いんですね。
その期待ってなにかっていうと、相手が自分にとって、私にとって望ましい・好ましい、私にとって良い選択をする、良い行動するっていうとを望んでる状態。
これを「期待」っていうふうに言うんですね。
だから恋愛で言えばわかりますかね。
相手の人が自分と別れる・別れないっていうふうに悩んでいるときに、自分が別れたくないので相手が別れないっていう選択をしてくれることを期待するわけですね。
これは「期待」っていう表現を使うんですね。
なので、相手の人が別れるっていうことを選択した場合、グサッと傷ついてしまうわけですし、なんか裏切られたような感じっていう思いを抱きます。
心の世界ではこういうことが普通に起こってくると思うんですけども。
「信頼」っていうのは、相手を信頼するっていうのは、別れる・別れない、どっちの選択肢を相手が選ぼうとも、自分がそれを受け入れる覚悟ができてる状態であり、相手の選択を支持するという立場というか、支持するっていうことが信頼っていうことになるんですね。
わかりますでしょうか?
ちょっと難しいですけどもね。
だから今日先ほど冒頭の方で言いましたけども、「信頼していた彼に裏切られた」っていうのは、今の信頼の定義から言うとありえないんですよ。
なぜかと言うと、相手・彼が自分の望まない選択をするっていうことも含めて丸ごと受け入れてる覚悟ですし、その選択を支持するっていうことを信頼って言うので、だから信頼っていうのは裏切られないわけですね。
ところが期待っていうのは、自分が望ましい結果、自分にとって望ましい結果・選択というものを相手に望んでいるために、そうでない行動・選択をした場合に裏切られたように感じるっていうわけなんですね。
ここが期待と信頼っていうところの大きな違いでございます。
だから、期待っていうのは相手に望んでる状態なので、実は依存っていうのが入る。
依存である「欲求」「ニーズ」っていうのが入っています。
信頼っていうのは自分と相手というものに線引ができてる状況、つまり自分軸でいられてる状態であり、相手の選択を支持するという覚悟ができてますので、ある意味手放してもいる状態とも言えるわけですね。
なので、このあたりの手放してる状態とか、信頼しているとか、自分軸であるというのはそれぞれが表現は違うんですけども、同じ状態であり、同じ意味っていうとちょっと違うと思いますけど、同じような状況において起こるものだったりするわけですね。
この相手の選択っていうものを丸ごと受け入れるとか支持するっていうのは、要するに「自己肯定感」という言葉に対して「他者肯定感」、こういう言葉があるのかちょっと僕は知らないんですけども、他者肯定感、相手を丸ごと肯定している状態っていうのを指します。
ここからまた自分に話がふりかかってくるわけですけど、つまりそうすると、自分が自分のことを肯定できていない状態、自己信頼や、自分が自分のことを信頼できてない状態だと、やはりここに「投影」っていうものが起こってしまうので、相手のことを丸ごと受け入れる他者肯定であったりとか、この信頼っていうことが実は難しくなってしまうっていうのが、この信頼するっていうこと。
言葉としては非常に多く出てくるんですけども、信頼っていうのは非常に難しいところで、成熟性だったり、自分軸もそう、自己肯定感もそう、こういった要素が求められてしまうっていうところで、なかなかこの「相手を信頼する」っていうのは我々からすると軽々しく使えない言葉っていうことになってしまいます。
なので、この人を信頼したいなとか、彼を信頼したいなとか、取引先の相手の会社を信頼したいなっていう場合には、当然ですけど自分の望む・自分が期待する結果にならないとか、自分の期待する・自分にとって都合のいい行動を相手が取らないっていう可能性も含めて信頼するっていうことになるんですね。
以前あるクライアントさんで、「旦那が浮気した問題」というのがあって。
彼は浮気2回やってるんですね。
「もうしない、もうしない」って言って彼は固く約束をしていると。
でも彼女・奥さんは信頼できないとおっしゃってる。
まぁまぁまぁそりゃそうですわなと。
前科2犯でございますから信頼できませんと。
「どうしたら彼っていうものを信頼できるんですか?」っていう質問をいただいたときに、僕の答えはこういう答えだったんですね。
それはなにかというと、「3回目があるかもしれないっていうことを受け入れましょう」って、これが一つです。
「3回目があったとしても、私は大丈夫であるって、こういうマインドを作っていきましょう。そういう状態にしていきましょう」と。
わかりやすく言うと、次があったら自分はどうするかっていうことをもう決めておいてもいいですよと。
別れるなら別れる、受け入れるなら受け入れる、どっちでもいいですよと。
でもこの3回目が起きて欲しくないっていう気持ち、もちろんありますし当然だと思います。
だけれども、それを彼に期待をするとやっぱり裏切られる可能性っていうのがあるんだと。
つまり浮気をしない彼しかあなたは愛さないっていうことですよねっていう話になると、浮気をする彼のことはあなたは嫌いで切り捨て落としてるから、「彼の全て」っていうものを受け入れていることにはならないんですよ、つまり彼を信頼していることにはならないんですよと。
だから彼を信頼しようと思うのであれば、浮気をするかもしれない彼、過去前科2犯ですけど、その彼も、そして浮気をしないと言ってる彼も、その全てを受け入れる覚悟を持つことだし、仮にもしそうなったとしても、その彼の選択を支持する。
もちろんあなたの行動は別だから別れるのも自由だけどもねと。
こんな話をさせていただいたところでございます。
ということでお時間でございますので、今日はこのへんで失礼したいと思います。
ありがとうございました。