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セラピストという道の心得 by私

自信はあっても傲慢ではなくありたい、他人を大事にするあまり自分を見失わないでほしいし、わからないことよりもわかっているふりが一番怖い。これは私がセラピストを育成するという立場で、いろんなセラピストを客観的に見る中で、反面教師に心に留めていることです。

セラピストって先生って呼ばれる立場になります。けどね、先生なんて大袈裟なって思う反面、そう呼ばれ慣れてしまえば、そう振る舞おうとしてしまう『先生』になろうとしてしまうのです。けれど、教えることなんてそんななくて、日々発見の連続で、それはお客様の身体の声を通してなので、教えてくれている先生の立場はむしろお客様、そちらなのです。『先生』になろうとして『与えよう』とするほどにうまくいかない。それがセラピストの世界なのです。そもそも与えるも与えないもない世界なのです。

そして、次のアルアルは、他人のことは言うくせに、自分はボロボロなパターンです。ここが悪い、これをしないと、そう他人には言いながら、自分のことは相当端っこの隅に置いたまま。だから、時々客観的に他人に触ってもらって、見てもらって、客観的な評価を、現実をちゃんと受け止める素直な心と体を持つことって大事なのです。強い=かっこいいは、残念ながら昭和で終わってしまいました。表面的なパフォーマンスや表現にまみれて、たくさん失敗をしているグルメな令和を生きる我々は、中身を見抜く力も長けてきています。自分のことはわかっている(つもり)、自分の不調は隠せている(つもり)、あなたのためを思っているのよ(自分の利益のためのマーケティング)は、もはや見破られ、魅力が半減します。他人に寄り添うなら、自分に寄り添う姿勢を取り戻すことから、と感じております。

そして、最後は、わからないふりよりもわかってるふりが一番怖いという事象です。そもそもセラピストとは、わからないからこそ深めていくのが面白い仕事なのです。人間の不思議は無限大。まだまだ現代の医学を持ってしても、わかっていることよりわからないことの方が多いのです。5年たてば、5年前の医学の常識は非常識になっていることさえある。『わからない』『もっとより良くしたい』その姿勢が医学の大前提なのです。なのに、一般セラピストが身体の全てをわかってるわけはないんです。わかってふりしてしまったらもうその成長は頭打ちです。わからないからこそ探求していく、患者さんの体を通じて教えてもらっていく仕事なのです。そして、セラピストの多くが、体悪い出身、心病んでる出身、が多いのです。それは、自分の中に課題があるからこそ、それに興味があるし、乗り越えた時に、他人の課題に寄り添うことができる、それを喜びとできるからです。

強いふりもかっこいいふりも損をする
おにぎりのイクラにも鮭なろうとしなくていい。
セラピストはご飯だからこそ意味があるのです。

忘れたらまたもう一度、何度も思い出せばいい
『なんでセラピストになろうと思ったのですか?』

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